いまの時代、アメリカ・ロサンゼルス(以下、LA)に居ながらにして、日本のテレビやメディアの情報をリアルタイムで知ることができるようになりました。
日本ではメディアがよく「アメリカで大流行」などの謳い文句を使っていますが、嘘が多いのも事実。私のメルマガ『FROM LA TO JAPAN』では、LAから見た日本への個人的意見も含め、本物の情報を発信しています。
過去に流行語大賞として選ばれた「あたおか」という言葉を知りました。「頭がおかしい」を略した言葉で、人気芸人がツッコミとして使用したことで多くの人が認知するようになったんだとか。
こちらでは、それを「カレン」と言います。カレンは女性の名前ですが、「ちょっとヤバい」と感じる人のことをこう呼ぶようになってきました。由来はわかりません。
「偉い人」には何も言えない風潮
たとえば、こちらのカレンな話。
とにかく、「自分は特別な存在である!」というアピールをするカレンが、誰でも好きに駐車できる駐車場に登場しました。
「ここはいつも私が停めている場所だから、車を動かしてよ」なんてことを言ってきます。
先に駐車していた人は「いやいや、ここはハンディーキャップ用の駐車スペースじゃない。あなた専用の駐車場ではないでしょ?」と当たり前に言うと、カレンはなんだかんだと因縁をつけてきます。
「私はここに何年も停めているの!」と、訳のわからん文句。
理解不能な文句の最後には、かならず「あなた、私を誰だと思ってるの?」と謎の権利を主張するのがお決まり。そして、「私の夫、誰だと思っているのよ!」と。
これはパートナーであったり、知人のことだったりもするけど、結局は「私の知り合いは偉い人」ということを平然と言い訳にするのです。
警官に止められたカレンも、大抵こういう言い訳をする。
「私を誰だと思ってるの?」「私は市長の友人だからね!」「私の友人には国会議員の○○がいるのよ!」などなど…つまり「あんたとは格が違う!」という文句を言い出します。
なかには、「私は医者よ!」とか「私は弁護士よ!」とか、何が偉いのかそれを理由に警官や市民に文句を言うカレン。
日本ではこういう「あたおか」は、あまりいないと思いますが、庶民が「敬う」職業がある。
国会議員、代議士、医者、弁護士…など、なぜか「偉い人」には腰の低い庶民って多くありませんか?
亡くなったうちの母がそうでした。
母も若いときは、相手が医者であれ、市長であれ、「自分が間違っていない」と確信していることは、しっかりと口に出して意見を言うタイプでした。
しかし年齢を重ね、病院に通ううちに、医者に対して口をつぐむようになっていったんです。
私には「医者の態度に腹が立った」と、愚痴をこぼすので、「じゃあ、直接、医者に文句言えばいいじゃん」と返すと、母は「そういうことをやれば、モンスターなんとか…って言われてしまう」と弱気。
でもそれって病気を治してもらう先生に対して、「角を立てると治るものも治らない」という不安がそうさせていたように思います。
江戸時代には、士農工商という身分制度があり、格差がはっきりと分かれていました。
その名残のせいなのか、「偉い人」「凄い人」には何も言えないという風潮がいまだにあるような気がしてなりません。
現実、職をひけらかす「お殿さま」気質の勘違い野郎も多いのは事実。
国のトップを考えてみても、単なる「議員」という職業の人が選挙に打ち勝ち、「首相」やら「大統領」などになって国宝のような扱いを受けるようになる。でも、任期が終わればただの人。
私は相手が警官であれ、自分より偉い人とは思いません。ただの「職種」じゃないですか?
凶悪犯を追う警察のヘリが、我が家の上空に…
以前、日本からロスに来ていたお客さんがいました。その日、23時の便で日本に帰国する予定だったそうです。
しかしその日の夕方、上空に数台のヘリコプターが飛び始めました。
音がうるさくて聞こえづらいのですが、ヘリコプターから「家から出ないでください!」とアナウンスされるときがあります。
おそらく、何か凶悪犯を追っているときなのでしょう。
こういうときは、陸では警察犬が活躍していることが多いです。つまり「警察犬を放しているので家から出るな」という案内。
もちろん、警察犬をハンドルする警官も発砲準備しているのだから、まるで映画。
日本に帰国予定の客を空港へ送って行こうとした矢先に、このアナウンスが聞こえたのです。
当然、うちの家の周りの道路は封鎖されていました。しかし事情を話せば車を出せるだろうと、しれっと客人を車に乗せて出発。
そうすると、すぐ3人の警官に「家から出るな!」と車を止められてしまいました。
私は「こういう事情で、客を空港まで送らなければ日本に帰れなくなる!」と説明。そうすると警官は「そんなの関係ない」と、うえから目線で私に命令を下したのです。
一旦私は客人を乗せた車で家に引き返しましたが、速攻地元警察に電話を入れました。
「○○に住む○○ですけど、日本に帰国しなければならない知人がいるのに、空港へ行くことを禁止されたんですけど?」とやんわり主張。すると、「いまは無理です」の一点張り。
「じゃあこの封鎖、何時に解除されるんですか?」と聞くと、「わかりません」との答え。
私はすぐに「じゃあ、責任者と話しをさせてくれ」と申し立てました。
しばらくすると、責任者出ました。そしてまた、こちらの事情を説明。責任者も同じことを言います。だから、私はその人にこう言いました。
「家から数メートル車を出せば問題のないことなのに、それを禁止するんですか?」「国際線の飛行機に乗れなかった客への責任は、あなたが取ってくださるのですか?」「そもそも警官って市民の安全を守るのが仕事ですよね?何も私たちは家の周りを歩いてうろつきたいわけではございません。私が車で数メートル家から出る間、護衛してくれるのが本来の仕事ではないでしょうか?」
責任者はこの私の異議申し立てに納得したようで、家の前に待機していた警官3人に無線で知らせてくれました。まもなく警官がうちに来て、「車で護衛します」と。
丁寧に「感謝いたします」と伝え、客人を無事に空港へお連れすることができました。
言いたいことは言ってみるもんですね。相手は警官だし、カレンではありません。その辺の市民に文句を言うのは、ちょっと危ない目に遭うことになりかねませんが、相手は警官。
カレンが「職種」をひけらかすのは、やっぱり「あたおか」なのです。たかが、仕事の種類。偉いことは何ひとつありません。
それより、「そば打ち30年」とか、名も知れぬ人が発展途上国などの悲惨な土地で井戸を掘っているとか、救助をしているとか、黙々と目立たず物言わず、ひとつのことを続けている人の方が私はよっぽど偉いと思います。
恐れ多い人とはこういう人のことではありませんか?
「偉人」とは、「偉業」を成し遂げた人のこと。その人の何が偉いかは、「業績」をみるべきであって、「職種」という銘柄で判断すべきではないと思いませんか?
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