こんにちは、小西昭生(こにしあきお)です。
今回のテーマは、「宇宙に届く意識」です。個人意識から、神意識への理解の深まりが「悟り」だとすれば、「宇宙に届く意識」とはどのような実感なのでしょうか。
一言でいえば、「全宇宙に生命を持たない粒子は一つもない」という実感を得ることです。それには、神意識へのさらなる一心集中が必須です。
神意識は生命意識です。全宇宙に遍満し一分(いちぶ)の隙間もなく広がっているのは、神の生命意識です。
であるなら、全宇宙に遍満する霊的質料を構成する粒子も、一つの例外もなく神の生命を宿した粒子です。
愚かなものが見るのは形の変化であり、賢明なものが観るのは形の背後にある粒子です。
この霊的質料の変化しないことを見抜いたものは、その考えを応用すれば、宇宙に遍満する粒子が変化しないことを知るでありましょう。
賢明なる天文学者は、形の世界の現象の背後にある、「生命意識」に思いを致すようになります。あなたも、賢明なる天文学者の一員になろうではありませんか。
天文学より先に、神の真理を学べば、天文学はすべてお見通しになります。それが実践できるようになる、一番大事な仕事こそ、明想なのです。
では、早速始めることにします。
1. 賢明なものが観ているもの

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真理の追求探求に勤しんできた者は、物事を本質から見抜くことができるようになります。
それは人間意識で見抜くのではありません。「私は神だ」という神そのものの意識になりきっている状態で、目の前のことを見抜くのです。
『まず、神の国とその義とを求めよ、しからば、爾余(じよ:あとのこと)は、全て付け加えられん』という聖句が示すとおり。
貧乏だからといって働かないのでは、貧乏から抜け出せない。貧乏のまま働くことだけに意識が集中すれば、貧乏は多少改善する。
そうではなくて、 貧乏を改善するために働いているときに「私は神そのものだ」という神意識を持って働けば、あなたが必要とするもの(お金)は、すなわち「爾余(じよ)」は、すべて付け加えられるという意味です。
わかりやすく言えば、「お金のために働くのではなく、神のために働けば、お金はより一層入ってくる」という意味。
世の中の人は、この順番がわかっていないので、「働けど働けど、わが暮らし楽にならず」という格言に縛られてしまいます。
真理を学んだ者は、先に「私は神だ」という意識になって働くので、収入が安定していくのです。
仮に、あなたが天文学者だとしましょう。
愚かなる天文学者が見ているものは、星雲同士の衝突や、白色矮星の爆発、超新星爆発などの、肉眼で観測できる天文現象の変化。
真理を学んだ賢明なる天文学者が言うなら、「すべての現象は形の世界に過ぎない」と言うはずでです。
現象界にある形は変化しても、本質である宇宙の一粒子たりとも変化するものはありません。
ただ形が変化するのは、粒子同士の結合の仕方が変化しているだけです。
霊的質料は一粒子たりとも変化していない 。変化したのは形だけ。
あなたが、この真理の把握について、 日常生活でも常に神を先頭に立てて意識できるならば、あなたの神の自覚の程度に応じて、困ることは一切起きなくなります。
もう一度、物事の順番を考えてみましょう。
神が、人間を創ったのであって、人間が神を作ったのではありません。
ここを勘違いすると、「思いあがった人間」ができあがってしまい、神を振り返ることすらしなくなってしまいます。