先生の優しさに甘えた結果、返ってきたのは…

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僕の母が高校生のころ、外国人の英語教師がいたそうです。仮にジュディ先生と呼びましょう。
ジュディ先生は、生徒が授業に遅刻してきても欠席しても何も言わなかった。
ほかの日本人の先生たちは「おまえら、授業に出ないと進学できないぞ!」「遅い、遅刻するな!」と、いちいち叱られるのに、ジュディ先生は何も言わずにいつもニコニコ「Hello」と笑っていた。
すると生徒たちは「ジュディ先生は優しいわ」と喜んで、どんどん時間にルーズになった。
なにより、ジュディ先生の授業に遅刻しても叱られないし、欠席しても注意されないから、それに甘えてしまった。
で、結果として、その生徒たちは出席日数も点数も足りずに留年したそうです。
「なんで言ってくれなかったの!」「何も言わなかったじゃん!」と、生徒たちは納得できなかったけれど、ジュディ先生は、「Why?なぜ怒るデスカ?授業に来なかったのはあなたたちの意志デショウ?出席日数や点数が足りなければ進学できないことは知ってたハズヨ」と、取り合わなかったそうです。
さて、本当に優しいのは日本人の先生か?ジュディ先生か?
まあ、外国では「自己責任」という概念が根付いているから、そんな文化的な背景もあったんでしょうね。ただ、今でも時々思い出す話です。
本当に優しい人は「覚悟」と「勇気」を持っている

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じゃあ、僕やワカさんはどうか?と問われれば、「相手による」としか言えません。
先ほど話したように、「それを相手に理解してもらえるかは別の問題」だから。
本当に優しくなるには覚悟がいるんですよ。厳しくなるには勇気が必要なんです。
相手を好きだから、信頼しているから、本気で叱ったり注意することができるわけでね。時には厳しい言葉をかけることもある。
そんな時には、僕は必ず心の中で、
もしそれで僕のことを嫌いになったのなら仕方がない。その人との関係はそこまでだった。
という覚悟を持って行動に出ます。でないと、本気で相手に厳しいことなんて言えません。
逆にどーでもいい人ほど、一見優しい言葉で済ませます。「いいよいいよ」「ああ、構わないよ」「大丈夫だから」そう言って笑って済ませてあげる。で、次はない。その人のことは、もう信用しないですから。
優しい言葉が相手のためにならないと思ったら、突き放すことも厭わない。そして自分で間違いに気付くように仕向けて、できる限り成長させる。
相手が間違いに気付かなければ、そしてその人の周りの大切な人たちにも危害がおよぶと思ったら、嫌われようがきっちり注意することができる。
そんな姿勢が、僕は本当の優しさだと思うし、大切な人たちを守ることができるんじゃないか、と考えるんです。
だからね。
少なくとも自分にとって大切な人、守らなければならない人に対しては、本当の優しさを持つ人であってほしい。つまり、相手にとって耳に痛いことでもはっきり言える。
そして周りで、耳に痛いことを言ってくれる人がいたならば、そんな人は大切にした方がいい。そう思います。
本当の優しさは、勇気が要ることで、とても難しい……。でも、それをわかっているだけで、ものの見方は大きく変わります。
もちろん、そういう意味では、自分にも「優しく」いっていますよ。直さなきゃな、と思ったことは、勇気をもって自分に「ダメだぞ!!」と言ったりね(笑)。
まず自分へ優しく(しっかり厳しく)なって、成長させていきましょう。あと1カ月あります。できますよ、今年中に!!
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