みなさん、こんにちは!文筆家、『マーマーマガジン』編集長の服部みれいです。
メルマガ読者さんからのご質問に答えたいと思います。
メルマガ読者からの質問
子育てに追われて自分のやるべきことを見失いそうになることがあります。
時間の流れに身を委ねることも必要かと思いますが、どこか焦る気持ちもあります。
自分が中心軸にいるために、みれいさんが常にこころがけていることはありますか?
- ペンネーム あまね
服部みれいからの回答

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あまねさん、ご質問ありがとうございます!
自分が中心軸……つまりは「自分軸でいるためにこころがけていること」でしょうか!
そうですね、もう端的に言ってしまうと「冷えとり健康法」はそのためにやっています(二言目には「冷えとり」って言っていてみなさんもううんざりかもしれないのですが本当にそうなのです)。
実際、kaiさんによる「チャクラケア」を知ったときも冷えとりで下半身をあたため続けてきたことが第1、 第2、第3チャクラの調整と関係していたことがわかってきて(特に第2、第3チャクラケアですね!)、本当にそうだった!と感じています。
チャクラでいうと、第2、第3チャクラが乱れていると、自分軸……自分を自分の中心軸に置くことができないと思います。
第2チャクラが乱れていると、いつも不安で、誰かに意見を聞きたくなると思いますし、第3チャクラが乱れていると、いつも自信がなくて、決断することができなくなるかなと思います。
そういうわけで、からだ、特に下半身をあたためることが自分軸をしっかりさせることの土台になっていると思います。

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それから「子育てに追われて、自分のやるべきことを見失いそうになる」とあるのですが、子育てって、どこか、「自分なんてないと思え」みたいな部分があるように思っていて、自分を見失うといいますか、自分というものをある意味では思いっきり捨てて奉仕する、という側面も大きいように思っています。
たとえば、わたしは編集者ですが、作家に編集者として接するとき、自分のエゴは全消しというか……完全奉仕状態となります。
編集者としての自分しかいなくなるというか(そこで作家の自分が顔を出したりはしないし、作家として焦ったりもしないわけです)。
かなりきっぱりしています。編集者の自分に全集中します。
子育てだったり、誰かの世話、養育ということにはかなりの労力、エネルギーがいるわけで、その最中には「母親」に全集中せざるをえないのかな、と。
「自分のことをやろう」と思うと、逆に混乱することも出てくるのかなと思ったりします。
きっぱり何かをあきらめる必要があるというか(自分が編集者をやっているときに「作家としての自分」が顔を出したら全方位に面倒なことになりそうです)。
今、「女性が、子育ても、仕事も、家事もなんでも万能にできるのがいい!」みたいになっている……ようななっていないような……とにかくあまりにたくさんの役割を与えられすぎているように感じることが多いのですが、特に、ある年齢までの子育ては(親の個性にもよりますが……親側がマルチタスクが苦手だった場合は特に)、「子育てに全集中」という時期があってもいい気がします。
それも、全集中するからといって過保護になったり過干渉になったりということでは決してなくて(過保護や過干渉はそれはそれで、取り返しのつかないかなりの毒だなと最近あらためて感じています)。
母親として、子を見守ることに全集中、といいますか。母親の顔をして、ただそこに在る、みたいな集中のしかたというか。
そのありかた自体も、自分軸をつくる上ですごく大事な気がしています。
一方、働かなければならないとか自分自身をかけてどうしてもやりたいことがある場合は、時間をしっかり区切って(子どもが寝ている時間を利用するなど)、自分の時間をつくるしかないですよね。
自分にやりたいことがある人は、人と同じように時間を過ごしている場合ではないと思います。
自分のやりたいことに集中するためにどうしたらいいか逆算してどう時間を使ったらいいか、よく整理する必要があると思います。
そういった、常に平常心でいる自分でいるためにも、わたしは、冷えとりほかセルフケアをこころがけている……というわけです(つい、まわりに引っ張られやすい性質だから、です)。
そのほか、わたし自身が気をつけているのは、やりたくないことはやらない、自分の中に葛藤を存在させない、です。
何か参考になったらうれしいです。
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