「結婚した夫婦の3組に1組が離婚する」といわれる時代。厚生労働省の調査によると、平成27年度の離婚件数は22万件で、離婚率は35%前後と非常に高い数値になっています。
共働きで家事・育児を分担する家庭が増えているからこそ、お互いにいっぱいいっぱいになってしまい、「夫婦円満」を保つのは難しい…結婚7年目の筆者にも、その実感はあります。
まわりの既婚女性からよく聞くのが、「子どもが生まれても、夫の独身気分が抜けない」「夫の働き方や意識が変わらない」といった不満の声。仕事だとわかっていても、夫が頻繁に飲みに出かけていたり、休日はゴルフだ接待だと出かけていたりしては、妻に大きな負担がかかってしまいます。
特に共働きの場合、同じようにフルタイム勤務をしていても、妻が平日夜の家事育児を担っているという家庭は非常に多く、それが妻側の不満につながっていることも。
わが家は幸い、私がフリーランスでマイペースに働いているため、それほど大きな不満はないのですが、それでも締め切りが重なってにっちもさっちもいかなくなると、「もうちょっと気を利かせてよ!」と思うこともあります。
子どもがもっと小さかったころは、体調不良の子どもの看病をしながら、締め切りが迫った原稿を書く…なんてこともよくありました。会社員の方は、もっと大変ですよね。当たり前ですが、会社は家庭の事情なんて考慮してくれませんから…。
そんな状況下に置かれている共働き夫婦がうまくやっていくための秘策は何かあるのでしょうか?ふと「夫婦円満」を絵に描いたような地元に住む伯母の顔が浮かんだので、話を聞いてみることにしました。
昭和〜平成の時代に、仕事と家庭を両立していた女性
私の母は3姉妹の次女。雪深い地域に生まれ育ち、いまもその地で暮らしています。今回話を聞いたのは、母の姉、つまり3姉妹の長女である伯母の弘子さん(仮名・62歳)。
第一志望だった地元の国立大学に落ち、当時行われていた共通2次試験で隣県の国立大学の看護学科に入学。卒業と同時に勤めた県立病院で定年まで勤め上げた、いわゆる「バリキャリ」女性。夫は同じ病院に同年に入社した理学療法士で、子ども(つまり私のいとこ)は女の子ふたり。
男女平等だ、機会均等だと叫ばれ、女性が働く環境が整備されつつあるいまでさえ、子どもを持つ女性がフルタイムで働くことは大変なこと。「実家のサポートがあってようやく成り立つ」という話もよく耳にします。
昭和から平成初期の、まだ「夫が外で働き、女性が家を守る」が当たり前だった時代に、実家から離れた場所で弘子さんはいったいどのようにして家庭と育児を両立してきたのでしょう?
…と、弘子さんの話を紹介する前に、なぜ今回筆者が弘子さんに夫婦円満のヒントを聞こうと思ったのかをお伝えしたいと思います。