夫の働く環境への理解と諦め、そして容認
伯母に電話し、「夫婦円満の秘訣について教えてほしい」と話すと、開口一番に「それ、この前も娘たちに聞かれたわ」と笑いながらいいました。そして、「私にだって、不満はあったわよ。若いころは特にね」と教えてくれました。
娘たちに円満の理由を聞かれるような伯母にも不満があった?と驚きましたが、どんな「不満」だったのかを聞くと、「主に義母のことね。私と夫は育った家庭が違いすぎたから。正直、理解不能だと思うことも多かった」とのこと。
「子どもが小さいころは特に、子どもが発熱したり、子どもの学校の代休でサポートが必要だったりするのに、全然頼らせてもらえなくて。同じように仕事をしていても、実家や義父母を頼れる同僚たちが羨ましかったわ」
いまの働く女性と困りごとの内容は同じだな、と思いました。でもなぜ夫ではなく義母に不満が向いていたのでしょう。不満は夫に向かなかったのでしょうか?
「もちろん夫にも不満は感じていたわよ。なぜ私ばかり休まなきゃいけないの?私ばかり肩身の狭い思いをしなきゃいけないの?って。女性の多い職場といえども、当時は子どもがいる人はまだ少なかったから、休みづらさは相当だった。婦長さんにおもむろに嫌な顔をされたり、先輩にチクチク小言をいわれたりね。
それで夫に当たってしまったことも一度や二度じゃなかったと思う。でもそのころはまだ働く女性も少なかったし、男性が育児のために仕事を休むというのが一般的ではなかったから…。何より同じ職場で、夫が休みづらいのを知ってたから、諦めというか、無理をいえなかったのもあるのかな。
それより仕事をしていない義母がなぜ来てくれないのか?なぜ夫は義母にもっとお願いしてくれないのか?って、そっちの方に不満が向いてしまったのかもしれない」
いまと時代背景が異なるということもあるでしょう。義母が夫に代わる不満の捌け口になっていたということも考えられます。
でも夫への不満がそこまで蓄積しなかった理由のひとつに、「夫の働く環境が見えていた」ことがあるのではないかと思いました。夫にも休んでほしい、でも現実的に無理だろう。そうした理解と諦め、そして容認が、夫に大きな不満を抱かずにすんだ要因だったのかもしれません。