こんにちは、スピリチュアルカウンセラーの星のしずくです。今回は、by themに寄せられた育児のご質問にお答えしたいと思います。「自分だったらどうするか?」という視点で読み解いてみてくださいね。
QUESTION
関東の田舎在住。7歳の息子がかわいいらしい服を好み「男らしく育てろ」とまわりにいわれます。個性を伸ばしてほしいと思う反面、今後いじめられるのではと悩んでいます。
「いじめられるかも」と思い悩むよりも、大切なこと
ハッキリとさせておきたいのは、年齢に関係なく、いじめは暴力であり犯罪ということです。それを「いじめ」というあいまいな言葉に置き換えているため、傷害罪ということに気づかない人もいますが、やはり犯罪です。
そのような言葉は日本にはいくつもあります。万引き→窃盗罪、体罰→傷害罪、やくざ→犯罪集団…というように。
あいまいな言葉を使い続けると、感覚がマヒしてしまいます。逆もまた真なり。感覚をマヒさせるために言い換えや隠語が生まれます。
どれほど誤魔化し感覚をマヒさせても、犯罪は犯罪です。犯罪を犯罪と思わせないようにする隠語や業界用語が多い世界には足を踏み入れないほうがよいでしょう。いじめには心理的・陰湿なものもあり、立件しづらいケースもあります。
あなたは「子どもがいじめられるかもしれない」と悩んでいますが、いじめられるよりも人を傷つけて犯罪を犯すような子どもに育ててしまう方がおおいに問題があります。人を傷つけるような子育てをしていないのであれば、あなたはもっと堂々としてよいのです。
大人たちの役割とは?
「男らしく育てろとまわりにいわれる」ということですが、これは極端に解釈すると、「いじめられる側」ではなく「いじめる側になれ」といわれているようなものですね。
まわりのいう「男らしく」とは、元気よく、快活に、という意味を通り越して、腕白で、いうことを聞かず、いたずらしたり、暴れまわるようなイメージなのでしょう。
周囲の人たちはなにを怖れているのでしょう?「男らしく育てろ」という思考と言動は、子ども本人のためというよりも、世間体を気にしたり被害者になるよりも加害者側に回ったほうがよいというような周囲の人たちの怖れが根底にあるのではないでしょうか。
あなたは「個性を伸ばしてほしいと思う」とおっしゃっていますが、その通りです。生きるとは、自分らしさを追求することです。それが生の探求であり、自分の興味が向かうところには、ひとりひとり異なる人生のテーマが含まれています。
周囲の大人たちができるのは、興味の赴くままに行動する子どもを後ろから見守ること。前に立って立ちはだかる必要もなければ、子どもを従わせる必要もありません。
もちろん、重大な事故につながりそうであれば、緊急介入は必要です。いじめという名の犯罪も然り。いじめられたなら大人が緊急介入すべきところです。
そうではなく、いのちの危険がなければ、危なっかしくとも子どもの後ろについて見守るのみ。子どもに限らず、人はみずからの行動と経験によってなにかを学び、気づき、成長していきます。転んだとしても、その痛みは貴重な体験であり学びなのです。それを、安全のためといって無理に従わせては不満にはなれど、学びにはなりません。