「人権がない状態」が普通
私は仕事でシンガポールに移住するという予定だったのですが、タイミング悪くコロナが流行。その予定もなくなってしまいました。
また、コロナの影響で日本への帰国を余儀なくされたとき、いつ離れ離れになるかはわからないという不安に駆られました。次に会える日もわからなく、海外渡航も許されないなかで、友好な関係や精神状態を築くことは困難です。仮に移住できたとしても、結婚やそれと同等の権利の保証がない。いい換えると「人権がない」ということには変わりありません。
以前、40年以上も同居していた同性パートナーが亡くなったあと、ふたりの関係性を認識していないとして、生前に約束した遺産の引き渡しが認められず、火葬場への同行も親族により認められなかったという悲しいニュースがありました。
いまでは大きくニュースに取り上げられることも増えましたが、こういった問題は昔から今もずっと続いており、我々にとってはそれが「普通」なのです。
多様だからこその不寛容さ
シンガポールは多様な国といった印象を持つ人が多くいるかもしれません。西洋やアジアなど、さまざまな人種や文化と共存し、英語や中国語が飛び交う国ではありますが、行ってみると多様な国だからこそ不寛容であることに気づきました。
シンガポールでは、信仰や政治的背景の想定に基づき、男性間の性行為は犯罪となります。日本にはLGBTQの人々が集える二丁目などのコミュニティがありますが、シンガポールでは女性向けのバーやクラブは一切ありませんでした。
性的マイノリティのかたたちはオンラインでしか出会う機会がなく、オフラインでセクシュアリティを公言することは難しい。想像以上に閉ざされた環境であると感じました。表ではオープンですが、潜ってみると閉鎖的な側面を垣間見ることが多く、ゾクっとしたのを覚えています。
2021年現在、こういった環境や出来事を問題視する人は増えたものの、国家レベルでの認識が変わらないことには、マイノリティは声を上げる権利すらも奪われた不利な立場のままとなってしまいます。理不尽なことで責められ、いい返しても認められず、マジョリティだけが正当なものとして判断されてしまっていいのでしょうか。セクシュアリティや性別、国籍で、人々が判断されない社会の未来を、私は願っています。
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