日本国内の某テーマパークにおいて「レディース&ジェントルマン、ボーイズ&ガールズ」の園内アナウンスが「Hello Everyone」に変更されたというニュースを目にしました。
また、日本航空(JAL)のアナウンスメントも変わったそうです。日本において、ジェンダーに対する言葉使いへのピリピリとした緊張感が高まっていますが、私はそれに対し、強い違和感を覚えたのです。
「ワードを変えるだけ」で理解した気になっていないか
たしかに「ジェンダーギャップ指数2021」で日本は世界156カ国中120位。だからこそ「先進国」に追いつけ追い越せと、世論に波風を立てぬよう、叩かれる前に芽を積んでおくような「用心思考」が見受けられますが、「ジェンダーレス」と「ジェンダーフリー」の違いですら理解していないのではないだろうかと思うのです。
ジェンダーフリーとは「性差を否定すること」ではなく、性別によって固定された社会的な役割を柔軟にしていく運動。
たとえば「男性」しか得ることができなかった「資格」、「男の職種」などの固定観念を廃止し、女性も男性と同様自由に求めることができるという「女性の社会への進出」の幅を広げるというような「男女平等」を示すことに対し、ジェンダーレスは性別そのものを否定していく運動のことです。
性的マイノリティやリベラルな意見は理解できますが、既存の言葉を廃止していくことがだけが正しいことではないでしょう。
性差別の解消ではなく、性別を無視しようとしているだけのように思うのは私だけでしょうか。ワードだけ(発言も含め)に敏感になりすぎていて、根本を理解していない気がしてなりません。
「伝統」までを変えてしまう怖さ
そういう世間の動きは、SNSやメディアにおいて過剰に反応されることを無理に意識して、「伝統」まで無理やりに変えてしまうようなことが起きてしまうのではないかとも思います。
マイノリティに配慮することはいまの時代では不可欠な物事の考え方として定着しているものの、マイノリティとマジョリティが対立し、どちらも息苦しくなるような世の中を誰が望んでいるでしょうか。
なかには、ごく一部のマイノリティが自分たちの権利や主義ばかりを主張するように見えているというかたもいらっしゃるかもしれませんが、私は特にマジョリティが感謝と謙虚をもってマイノリティに歩み寄り、お互いが多少の不便を許容せねばならないと私は思っています。
ジェンダーでいえば、「男」や「女」を連想させる行事や言葉を「使ってはならない」というような風潮ができてしまうと、日本の伝統「初節句」などもひそかに祝わなければならなくなりますよね。
3月3日の女の子の初節句「ひな祭り」、5月5日の男の子の初節句「鯉のぼり」や「五月人形」の発売さえ廃止され、何事も「男」や「女」と固定されたものが世の中から排除されてしまう可能性もあるのではないでしょうか。