満たされない「社会的欲求・愛と所属の欲求」
さて、幸いなことに、そこまでの身の危険を感じていなかったとしても、下から3番目の「社会的欲求・愛と所属の欲求」となると、毒親家庭で育った人は、ほぼほぼ満足に満たされていないといえます。
これが、自分と社会との繋がりをどう捉えるか…、平たくいえば「人付き合いの心構え」や「セルフイメージ」の土台となっている「愛着形成」にとてもとても暗い影を落とし、大人になっても影響を与え続けることになるわけです。
この欲求は「欠乏欲求」といわれていて、その名の通り「与えてほしい!」「ちょうだい!」と私たちが本能的に持っている欲求なんですね。
本能的に「与えてほしい!」と渇望しているにも関わらず、毒親家庭ではそれが満足に与えられることがないばかりか、ほしがればほしがるほど、「わがままだ」「うるさい」「しつこい」などと拒否されたり、痛みを与えられたり、無視されたり、それどころか「親に一方的に搾取される」ということすらあるわけで…。
この社会的欲求・所属と愛の欲求が十分に満たされているか否かは、「自分と社会との繋がりをどう捉えるか」「人付き合いの距離感」「セルフイメージ」などの土台となっている「愛着形成」にとてもとても影響を与えます。
子どもは本来、家庭の中で十分に甘えさせてもらいながら、社会の中での自分の存在価値や人付き合いの心構えなどを、経験を通して学んでいきます。
「私は社会の中で大切にされる存在だ」
「私は守られているし、まわりの人は敵じゃない」
「私がそうであるように、ほかの人も大切な存在だ」
こうした感覚を育むことができないのが、いわゆる「毒親家庭」なんです。
毒親育ちのもつ悩ましい感覚
毒親の支配によって、「社会的欲求・所属と愛の欲求」が十分に与えられなかったばかりか、一方的に奪われ続けた子どもは、次のような感覚を「あたかも自分が生まれ持った性格」かのように感じて反応してしまうし、まわりに対してこういう思いから抜け出させてほしいと叶わぬ期待をしては失望するということを延々と繰り返したりします。
- どこにいても自分の居場所がないという感覚
- 何をしていても自分じゃないような感覚
- 心の中がいつも空っぽのような感覚
- 誰からも愛されていると思えない感覚
- 人との絆、関わりを怖いと思う感覚
- 人との距離感がわからない恐怖の感覚
- 愛することや愛されることがわからない感覚
- どこにいても自分だけが孤立しているという感覚
- どこにいてもまわりの人から見下されているような感覚
- 自分を犠牲にしてまで人の機嫌を取らなければいけないという感覚
- どこにいても自分はここにいてもいいと思えない感覚
- 自分という人間はなんの面白みも価値もないという感覚
そもそも毒親自身が「社会的欲求・所属と愛の欲求」がまるで満たされていないという欲求不満を持っている、その欲求不満をわが子に発散することで自分の心を軽くしようとしているという場合もあります。
でも、幼いころは、ほかの親がどうだとか、外の社会がどうなっているのかについてはまるで知らないし、ましてや親が精神的に未熟なのだということも知りませんから、親のいうこと、やることが、いくら理不尽と思えることだとしても、それすべて正しいと思ってしまうのは当然といえば当然といえるわけです。
そういう意味でも、あまり「べき論」は使いたくはないのですが、親の価値観、親のアイデンティティは、私たちが思っている以上に子どもの価値観、子どものアイデンティティ形成に、とても強く影響するということは、しっかりと「認識しておくべきこと」かと思います。
そして、毒親家庭で育った人は、ともすると親を神格化していることがあるため、無理にとはいいませんが、この機会に、たとえその当時の親にどんな事情があったにせよ「本来、親自身が解決するべき問題を、子どもに押し付けることで自分の問題から目をそむけ続けていた情緒的にかなり未熟な人間なのだ」という認識に考えを改めてみるのも、かなり辛いことかと思いますが、あなた自身を毒親の呪いから解き放つことに大いに役立つかと思います。
次回の『「毒親の呪縛」を本気で断ち切る実践トレーニング』は2021年6月2日公開予定です。
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