ねじ曲げられたBさんの人生
こうした母親からの支配から逃れるために、地元で合格判定が出ていた大学をわざと不合格になり、親の反対を強行に押し切って、県外にある難関大学に猛勉強して進学します。
物理的な距離ができたこともあって、そこからBさんの涙ぐましい抵抗が始まります。
アルバイトで生活費を稼ぎ、試験で優秀な成績をとることで奨学金を得て、とにかく親からの援助を極力もらわないようにして、関係性を絶っていったのです。
お盆や正月もアルバイトを理由に実家に帰ることはなく、最終的には、そのまま進学先の他県で就職します。
地元で就職しないことについても、母親は泣き脅しをしたりしてかなり反対してきたそうですが、「公務員」という安定した就職先が見つかったこともあり、なんとかBさんは反対を乗り切ります。
そして、職場で知り合った女性と恋愛関係になり、「もっと責任ある立場になってからでもいいのでは?」という母親の反対を押し切って、あれよあれよという間に結婚します。
その選択は、だれ基準?
さて、こうして見ていくと、大学に入ってからのBさんは、主体的に「抵抗」を繰り返しながら、毒親の呪縛から逃れ、自由にわが道を突き進んでいるように思いませんか?
ですが、これが過干渉に対して「抵抗」するがゆえに、人生がどんどんねじ曲がっていくという典型的な事例なのです。
もちろん、当の本人は母親から自立する方向に頑張っているつもりなのです。でも、実態は違うのです。それはいったいどういうことなのでしょうか?
「抵抗することが目的」の人生
実はBさんのように「抵抗すればするほど毒親に無自覚に執着してしまい、そのせいで人生がねじ曲げられていく」というパターンに陥っている人は、案外少なくないのです。
どういうことかというと、実はBさんは「自分がしたいこと基準」ではなく、「お母さんが嫌がること基準」「お母さんから離れること基準」「お母さんに抵抗すること基準」で、人生のさまざまな選択をしていたのです。大学への進学も、就職も、結婚も…。
Bさん自身は、お母さんからの支配に抵抗し、あたかも「自分の自由意志」で人生の選択をしているかのように思っていたのですが、その実、やっていることは全て「お母さん基準」であり、自分の意思がまるで介在していないどころか、いまだに抑圧し続けていることにセッションを通じて気づき、かなり愕然としていました。
健全な抵抗とは、自分が望んでいるものが何かを知り、それを実現しようとして選択し行動する過程で、結果として親の価値観とぶつかることで、ただ親を困らせてやろうとかそういうことではありません。
自分が望んでいるものを実現しようとする結果として親の価値観と衝突する中で、アイデンティティを確立したり、親との間に境界線を引くことができたり、親を乗り越えるという成功体験を積んだりするのが健全な抵抗です。
ですが、Bさんの場合は、そもそも「抵抗することが目的」になっていたわけで、こうした「抵抗」は、自虐的な抵抗といっても過言ではありません。なぜなら、頑張って抵抗すればするほど、どんどん毒親に執着し、自分を惨めな方向に導いてしまうわけですから…。