無条件の愛情を知らずに育ってしまうと…
情緒的に不健全な親は、いつも心のなかに空洞的な感覚を抱えているので、たとえ経済的に何不自由ない生活をしていたとしても、「心が満たされる」という感覚が持てません。
むしろ、「まだ全然足りていない」とか「誰かに奪われるかも」「いつか失ってしまうかも」などと恐怖さえ感じていたりします。
そもそも「心の空洞」とは何を意味するのでしょうか?
どうすれば「心の空洞」を埋めることができるのでしょうか?
何が「心の空洞」を生み出しているのかということですが、それはひと言でいうなら「愛着不足」といえるかと思います。あるいは「自尊感情不足」や「自己肯定感不足」といってもいいかもしれません。もっと平易な表現をするなら「安心感不足」でしょうか。
「私なら大丈夫」とか「なんとかなるさ」という感覚がスッポリ抜けているというイメージです。
どうしてそういう感覚がスッポリ抜けているのかといえば、それは幼少期に「無条件の愛情」を実感できる機会、体験を与えてもらえなかったからです。あるいは愛情は愛情でも、痛みや苦しみ孤独などの苦痛を伴う歪んだ愛情表現に触れる機会が多かったから…。
その一方で、他者と欠点を比較されたり、何かにつけてダメ出しされたり、辱めを受けたり、隠しごとを強要させられる体験が多かった。
こうした環境のなかでは「不当な扱いへの欲求不満」がどんどん心の底に溜まり、結果として「欠乏感」ばかりが一方的に増えていきます。そのため心が空洞化していくわけです。
親を超えられない子どもたち
こうした「未解消の欲求不満のストレス」を、子どもにぶつけることで発散し解消しようと試みるのが毒親の特徴のひとつであり、これが「毒の連鎖」の原因にもなっているのですが、どんなにストレスをぶつけても解消することは決してありません。
なぜなら「逆恨み」という責任転嫁をすればするほど、自分で解決するべき問題から遠ざかってしまうからです。
大切なことなので繰り返します。
「未解消の欲求不満」を「逆恨み」して誰かにぶつけるなどして問題を解決することから目を背けても、心の空洞は埋まりません。
問題は逃避しても転嫁しても、「解決しなければなくならない」というのは当たり前のことですね。
とはいえ、ストレスをぶつけることで、一瞬、問題から気をそらせるし、自分が解決しなければならないという責任の重さから解放されて心が軽くなった気がするのですが、それはただの「勘違い」です。
いずれにしても、親にフラストレーションをぶつけられながら育てられた子どもは、大人になってから何かの分野で親を超えるチャンスや、成功や幸せを掴むチャンスがやってきたとしても、親を超えることや、親よりも幸せになることに、罪悪感的な後ろめたさを感じて、そのチャンスを自ら手放してしまうことは少なくありません。
自分が成功し幸せになればなるほど、なぜか「親がかわいそう…」などと、みじめで辛く苦しい気持ちを感じてしまうのです。まさに「呪い」ですね。