「自分と同じ被害者」と思う子どもの心理
さて、直接的に暴力を振るう親がいる一方、それに止めに入るとか、断固として抵抗するとか、通報するとかをすることなく、ただ黙って傍観しながら、「消極的に虐待に加担している配偶者」もいます。
暴力的な相手への恐怖心があり自分の力だけで対処できないなら、親族や友人を巻き込むとか、児童相談所や警察などを頼ればいいのに、それもやらない。
「偽りの家庭」だとしても自分の居場所を失いたくないとか、世間体とか「自己保身」のために、我が子への暴力を静止(抑止)しようとしないということもあるのでしょうが、誰も止めなければ、「日常化」するのは自然の流れです。
自ら子どもに対して直接的に手を下すことはしないまでも、間接的には虐待しているのと同じことをしている親に対して、その子どもは、「どうして止めてくれないのだろう?」「どうして助けてくれないのだろう?」「どうして守ってくれないのだろう?」と思うことはあっても、「間接的な加害者」とは思わず、むしろ自分と同じように「かわいそうな被害者」だと思うことは少なくないようです。
片方の親が、もう片方の親から自分と同じように(あるいはもっと酷い)心身的暴力の被害者になっているというケースの場合であれば、殴られている親を見ながら子どもが「自分と同じ被害者なのだ」と思うことは自然の流れかと思います。
ですが、ただオロオロするばかりで何もしなかったり、暴力が始まるとスーッとその場から居なくなったりするような親に対しても、「自分と同じかわいそうな被害者」という認識でいることは少なくないようです。
その心理背景のひとつには、直接的に暴力を振るわない方の親のことをかわいそうな被害者と思い込むことによって、「親として最低最悪で、絶望的な家庭環境に生まれてきた」という真実から逃避し、心が傷つくことを少しでも回避しようとする無意識の心理戦略の働きがあるようです。
また、そうした状況にいる子どもは、自分自身、ただでさえ肉体的な暴力の被害者になっているにも関わらず、暴力を振るわない方の親を守ることができない自分を、さらに自分で激しく責めたりすることも少なくありません。