Hさん(30代・女性)のケース
小学校低学年のころに両親が離婚し、母親に引き取られた後に、母親が再婚。その再婚相手から、中学生になるころまで陰湿な暴力的虐待をHさんは受け続けます。
何時間も正座し勉強させられる。理不尽なことで暴力的になじられ、平手で叩かれ、その間も激しく罵倒される。
その間、母親は泣きながら黙って見ているばかり。暴力が終わると、オドオドと母親がやってきて「かわいそうに…」と抱きしめてくれる。
そして、「あなたが、もっと頑張っていい子にすれば、お父さんもあそこまで酷いことはしないかも…」「お母さんがもっとしっかりしてさえいれば…」とさめざめと涙を流す。
こんな環境で、日々お父さんのご機嫌を伺いながら頑張っていたそうです。
大人になったいまでも「子ども時代のこと」は家族の中ではタブー扱いだそうで、それについてHさん自身も、「いまさら終わったことを持ち出すことでお母さんを苦しめることはしたくない。そもそも悪いのはお父さんであって、お母さんじゃないし…」とのこと。
当初Hさんは、母親は虐待には関係ないと話していました。
大人になったいまのHさんは、母親が再婚した男性から受けた虐待が、どれだけ重く暗い影を残しているのかは意識できていました。しかし、虐待されている自分のことを、ただ手をこまねいて見ているだけでなんの手助けもしてくれなかった母親に対して、心の深い部分にどれだけの怒りや悲しみを蓄積しているのかについては、まったく意識していなかったのです。
それどころか、母は母でかわいそうな人だと思い込むことで、「母親は私のことを守ってくれなかった」という事実を何十年も否定し続けていました。
ですが、「あなたが、もっと頑張っていい子にすれば、お父さんもあそこまで酷いことはしないかも…」などと、本当はまったく背負う必要のない罪悪感や自罰感を刷り込み、終わりのない頑張り地獄、自虐地獄に突き落とした張本人は、ほかの誰でもない母親です。
Hさんのように、肉体的、あるいは精神的な暴力で虐げられてきた人は、「親が私に対してこんな酷いことをするのは、自分が悪い子だからだ。自分に落ち度があるからだ…」などと「自分原因説」「自分罪人説」を頑なに“真実”として信じていることは少なくありません。
それは、たとえHさんのように、「あなたが、もっと頑張っていい子にすれば、お父さんもあそこまで酷いことはしないかも…」などと直接に言われなかったとしても、「悪いのは自分のせいだ…」と信じていたりするのです。