彼との出会い、そして結婚
なんというか、彼はあからさまな付き添いだった。前のめりだったのはもうひとりのほうで、付き添いの彼は心ここに在らずといった様子でほとんど会話に参加しなかった。
10分くらい経つと司会のスタッフがメンバー交代をうながし始め、「もうひとりの人」に流される形でぼくたち4人はLINEを交換した。
そのあと、ほかの男性たちとマッチングしているときや、ビュッフェの料理を取りに席を立ったとき、ふとした瞬間に顔を上げると何度も彼と目が合った。なんとなく会釈をして、なんとなく会釈を返されて…。
街コンが解散になった直後にiPhoneを見ると、付き添いの彼から「このあとお茶でもどうですか」と二次会への誘いのメッセージが来ていたのは、少々意外だった。仮に誘いがあるとしたら、それは彼ではなく「もうひとりの人」から来るとばかり思っていたから。
二次会では打って変わって(なんなら「もうひとりの人」を置いてけぼりにする勢いで)饒舌だった彼とは、映画の話で意気投合した。その後も彼とはLINEのラリーが続き、どういうわけだかその週末に開催される学祭に、彼が遊びに来る運びとなった。
学祭当日、ぼくが薦めた映画3本を1週間も経たないうちにすべて鑑賞したと打ち明けた彼は、ぼくの「物書きになりたい」という他人にほとんど打ち明けたことのなかった夢を笑わなかった。
浮かれ騒ぐ学生たちとのコントラストで浮かび上がる「大人っぽさ」という武器を存分に活用し、帰り際に「もうひとりの人」からも誘われていたぼくの肩を駅の改札前で抱き寄せてからの「選ぶのは君だけど、本音を言うとあの人には行ってほしくないな」というキザな台詞でトドメを刺した。
実を言うとそれまでぼくは、ろくな恋をしてこなかった。恋人だと思っていた人に実は彼女がいたり、真剣に好きだった女性に「え、私たち付き合ってないよ!普通にセフレでしょ」と身も蓋もない台詞で振られたり、共依存関係に陥ったり。
そんなお粗末で一方的な恋しかしてこなかったものだから、生まれて初めて体験する「追いかけられる恋」にすっかり浮かれてしまった。なにより、彼は背が高くてぼく好みの顔をしていた。
だからこそ、交際3日目の彼のプロポーズに幻滅したんだと思う。あなたも結局は、そういうつまんないことを望むんですか。ぼくの夢を笑わずに聞いて、ぼくの人とは違うところを好きと言っておいて、それでいながら平凡でありふれた日常とやらをぼくに求めるのですか。
ぼくが「日本人」ではないこと─日本と韓国とロシアのミックスであること、「女の子」ですらないこと、どんな残虐な暴行を実父から受けて育ったかも知らないくせに。
ぼくより4つ年上で20代半ばだった彼が結婚を見据えていたのは、いま振り返ると当然ではある。許せないと憤るぼくのほうがおかしいのも、頭では理解していた。
わかってはいたけれど、付き合いたての彼の「結婚攻撃」に次第に疲弊し、2カ月経ったころにはたまらず「もう二度と結婚の話は口にしないで」と泣いてブチ切れて結婚禁句令を発動することとなった。
けれども、彼は根気強かった。3年間に及ぶ交際期間で、けっして雄弁なひとではないのに、不器用に誠実に言葉を選んで、「結婚」の意思を伝えてくれた。
だからこそぼくも、彼と向き合う努力ができたんだろう。人種や国籍のこと、ぼくの心が本当は「女の子」ではないこと、父と母から受け続けてきた虐待のこと。
そのすべてを、彼はあっさり呑み込めたわけではない。真の理解までには比喩でなく気の遠くなるほどの時間を要したし、ときに互いに苛立つほど何度も何度も話し合いを重ねた。そして話し合ううちに、ぼくはあることに気がついた。
彼と法律婚をすれば、自動的に父の戸籍から離脱できる。あの男の名前を合法的に捨て去ることができる。あの男と、「家族」ではなくなる。
それはぼくにとって、素晴らしく魅力的なアイディアだった。そのため最終的には(そのほかのさまざまなことすべてに綺麗な着地点を見つけたわけではなかったけれど)、ぼくが紙面上「女性」であり「妻」という立場を取ることで、彼との「法律婚」を決めた。そして大学院を修了した年の秋、ぼくと彼は婚姻届を役所に提出した。