「俺が君の最後の人だよ」と、いまどき少女漫画でも聞かないような台詞を吐いた彼の顔を、ぼくはいったいどんな表情で見上げていたのだろう。
結婚3周年を迎えた先日、ふと思い立ってぼくは彼にたずねてみた。ものすごく嫌そうな顔をしていた、と彼が眉を思いっきりひそめるものだから、ぼくは思わず噴き出してしまった。
たぶん、ぼくはあからさまに鼻白んだ(はなじろんだ)。いまでこそちょっぴり申し訳ないなとさえ思えるけれど、当時はその台詞を口にした彼を、ほんの一瞬、たしかに、軽蔑したのだ。
付き合い始めてわずか3日でそんな言葉を吐ける彼は、なんてお気楽で能天気なのだろう。「“4歳年下の若い女の子”と付き合うことに成功して浮かれる結婚適齢期の彼」を、たぶんどこかで見下しさえしていた。そうやってぼくこそが、彼の本質を取りこぼしていたのだ。
- 第一回:「死刑やからな」ぼくの首に食い込む、父の太い指。思い出される教育虐待の記憶
- 第二回:虐待をする父からの死刑執行宣告。生き延びたかったぼくの決死の逃避行
- 第三回:“その場から逃げて終わり”ではない。経験者が語る、壮絶な「教育虐待」の現実
“それから”の家族とぼく
父から心身ともに酷い虐待を受けていたぼくは、親元から離れるため、祖母の家がある京都の大学への進学を選んだ。しかしその後も眠れない日々が続き、まともに食事を取る習慣も失い、毎晩泣きながら東京にいる友人たちに電話をかけた。
友人の一人から「東京に帰ってきて」と救いの手を差し伸べられたこと、心療内科の受診をきっかけに、関東の中堅国立大3年次編入試験を受験。無事に合格したぼくは、22歳の誕生日を迎える直前に東京へと戻った。
父も母も、ぼくに対してはもう、腫れ物に触るような扱いしかできなくなっていた。説教とセットだった父・母・弟との家族4人の食事の習慣はいつのまにか風化し、父とぼくは家の中で顔を合わせることすらほとんどなかった。
朝、父が出勤したあと、ぼくはのそのそと起床して大学へ向かう。都心から地方へのJRは本数が少ないから、ホームで電車を待っている間に冷たい菓子パンやらおにぎりやらを食べ、昼は学食で新しい友人たちと済ませる。
毎週のように課されるレポートとともに、夜のサイゼリヤやマックで彼らと連れ立ってパソコンを叩きまくる。そして日がどっぷりと日が暮れた終電間際、父の就寝後に帰宅する。
土日は必ず友達と出かけるか、アルバイトか、マッチングアプリで出会った人と泊まりがけでデートの予定を入れる。
できるだけ家にいないように、父と(そして弟と)顔を合わせないように生活していた。父がぼくの帰宅時間が遅いことに文句を言っていたことは知っていたが、直接叱責されることはもはやなかった。これには正直、かなり驚いた。
関西の大学に進学するまで、ぼくの門限は夜の18時だった。外泊などもってのほかだったし、友人との旅行も許されていなかった。
高校生のころから「早稲田に入学したあとも、門限は変わらへんからな。サークルに入ることも飲み会も、アルバイトも許さん」と宣言されていたので、いずれどこかでまた暴力を振るわれるのではと心のどこかで身構えていたのだ。
それでも、ぼくももう、木刀で殴られるのを待つだけの子どもではなかった。
塾講のアルバイトと、そのころ始めたWebマガジンでのライター業務で金を貯めまくり、長期休みには必ず海外へ飛んだ。
グアムを皮切りにイタリア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、スロベニア、ハワイ、ニュージーランド、ニューカレドニア…。日本からできるだけ遠い国を選んだのは、なにより父を脅迫したかったからだ。
行こうと思えばもう、ぼくは世界中、どこへだって行ける。カタコトの英語でも案外どうにかなるし、幸いにもぼくは語学に適性があった。
3年生の夏休み明けのTOEICでは800点台を叩き出したし、卒業したらいっそどこか別の国に移住するのもありかもしれない。そんな将来、「お嬢様はいま、何を?」という質問にまごつく父の顔を想像するだけで、心底愉快だった。
とにかく必死だった。常にあの男に不安を抱かせていないと、いつだって失踪するか自ら命を絶つかの危険性を感じさせ続けていないと、あの地獄の日々がまた始まる。
いまの平穏は間接的な脅しによって得ている一時的なもので、少しでも気を抜いたらせっかんと罵倒は再開される。本能で知っていたからこそ、張り詰めていた。
彼に出会ったのは、そういう時期だった。ある日、大教室で講義を受けていると、ふいにiPhoneが震えた。机の下でこっそりLINEのアプリをタップすると、表示されたのは旧友からの「今週末、街コン行こうよ。ちなみにもう、申し込みは済ませたから」という突拍子もないメッセージだった。
“そういう場所”をぼくが不得手としていることは、彼女はもちろん知っている。「退路を断つのは卑怯だ」と素早くフリック入力するも、彼女はそれを思いっきりシカトして下北沢の会場だけを送りつけてきた。
街コンという文化は、いまはすでにもうメジャーではないのかもしれない。ぼくは友人に引きずられながら、「女性」として会場に潜り込んだ。
そこでいちばん最初にマッチングした男性2人組の片方が、「彼」だった。