父の手から逃れたら、この地獄も終わる。そう信じて関西の大学に進学したのに、待っていたのは“さらなる苦しみ”だった。
そのころのぼくは、毎晩のように悪夢を見ていた。父に木刀で打たれたり、親戚の面前で弟にけなされたり、模試の成績が振るわなかったり、受験に落ちたりというような、実際に起きた昔の出来事。
それから、まるで幽体離脱みたいに天井から眠る自分を見つめていたり、そこにいるはずのない母の手に布団を剥がされそうになったりなどというような、金縛りの延長のようなもの。
内容はバラバラだけど、誇張でなく、毎晩ぼくはそういった類いの悪夢にうなされていた。
- ※本記事では子どもへ向けた心体への虐待表現があります。ご注意ください。
進学先を決めたぼくと、猛反対する父
1年間の浪人を経て、ぼくは関西の私大へ進学を決めた。
第一志望はもっと東京から遠い、親戚も知り合いもだれもいない土地の国立大だったのだけれど、ぼくは二度目の受験も滑り止めさえきれいに滑って、ただ願書を出しただけの大学に入ることとなった。もう1年浪人生活を送ることは、選択肢になかった。
そのころには不眠の症状がすでに出始めていて、精神的にも肉体的にも限界だったし、もうこれ以上父と一つ屋根の下で生活するのはごめんだったのだ。
前回のエッセイで書いた通り、家出が牽制(けんせい)になって父の暴力は止まった。
けれどその後も、言葉でなじられるいわゆる心理的虐待は継続していて、ぼくはそれから逃れるように、浪人時代は夜遅くまで予備校の自習室か図書館で勉強していた。
父と顔を合わせることを徹底的に避けていたけれど、ぼくが地方の大学を希望していることに対し、猛烈に反対していることだけは母を通じて知っていた。だからぼくは両親をなかば騙すような形で、遠い土地の大学ばかり受験した。
「あんなしょうもない大学に行くくらいやったら、ここに行け」
ぼくが本気で関西の私大に進学しようとしているのを知ると、父はそう言って都内にある女子大の願書を突きつけてきた。生
そこは父が「しょうもない」とこき下ろすその私大よりも、はるかにレベルの低い大学だった。
「そんな半端な大学に行くくらいやったら、女子大の方がお前もええやろ」
しかしながらその私大は、知名度はそれなりにあった。たぶん大学受験経験者なら、だれもが一度は耳にしたことがあるようなところ。
そもそも父は、許せないのだ。早稲田以外の大学に、自分の子どもが進学することそのものが。
それだったらいっそ耳障りのよい「お嬢様大学」に入ってくれたほうが、仕事先で「お嬢さんはどちらの大学に?」とたずねられたときも肩身の狭い思いをせずに済む。
この人はどこまでも、ぼくを自分の所有物だと思っているんだな。突きつけられた願書と、ピンク色のいかにも女子大っぽいパンフレットを見下ろしながら、胸の底が冷えていくのを感じた。
父はぼくが、根っこでは自分と同じ価値観を抱いているはずだと、この期に及んでまだそんな幻想を捨てきれずにいる。「そこそこの私大」と「お嬢様大学」だったら見合いの席でも通りのよい「お嬢様大学」を選ぶだろうと、本気で信じているのだ。
ぼくがいったい、どんな場所で酷いいじめを受けたのか、どうして中学校の途中で「共学の学校」に転校したのか、それすら覚えていない。
ぼくが「女子校」にトラウマを持っているかもしれない─、もちろんこのトラウマは偏見に基づくものだといまは知っている─、なんてことに思い至ることもない。
そして、仮にも“父”のはずなのに、幼いころからスカートを嫌い、仮面ライダーに心酔していたぼくを、まごうことなき純粋な「女性」だと疑いすらしない。
この人はいったい、だれなんだろう。こんなにもぼくのことを知らないこの人に、ぼくの父を名乗る資格があるのだろうか。こんなにもぼくを理解しようとしないこの人を、ぼくはそれでもなお父として敬愛しなければならないのだろうか。
「そんなところには行かない」
小さく硬い声で、ぼくは言った。
「女子大は受けないし、関西の私大に進学する」
生まれて初めて明確な反抗心を子どもに示された父は、当然ながらヒステリーを起こした。ひさしぶりにぼくを張り倒し、廊下の隅まで追い詰めてタコ殴りにして、そして息が切れると、木刀を持ち出しぼくの鼻先に突きつけた。
「親に黙って勝手に進学先を決めて、偉そうな口を叩くな。俺はそこらへんの、普通の父親とは違うんやぞ。次に俺に逆らったら、今度こそ殺してやる」