救い出してくれた友人の存在
「ちょっと、そっち行くよ」
ある日友人のひとりが、唐突にそう言った。てきぱきと一方的に日程を告げた彼女は、その数日後に本当に京都にやってきた。
彼女とは中学転校直後にすぐさま打ち解け、それからずっと心の深いところで繋がり続けていた。そして彼女は、ぼくが生まれて初めて父に虐待を受けていることを打ち明けた人でもあった。
ほとんど部屋に引きこもっていたぼくを、金閣寺やら道頓堀やら南京中華街やらに連れ出し、あれが食べたいここに行きたいなどわがままを言いつけてスケジュールぱんぱんの弾丸関西観光ツアーに付き合わせた。
「面倒くさいし行きたくない」などとぶーたれるぼくを完全無視して、約3日間、彼女はぼくを徹底的に振り回しまくった。
疲労感は凄まじかったけど、笑顔に満ちた3日間だった。箸がころんでもおかしい年頃をそのまま引きずっていたぼくたちは、3秒に1度のペースでげらげらと笑い転げた。そうか本来ぼくは陽気で明るい人間だったのだと、そのときやっと思い出した。
「帰ってきたら?」
道頓堀でたこ焼きをつつき合い、熱い熱いと騒ぎながら食べていると、不意に彼女が言った。ぼくは面食らい、うっかり青のりを大量にたこ焼きの上へぶちまけてしまった。
「お父さん、もう殴ったりはしないんでしょ。一度目の家出が牽制になったんなら、こっちの大学に進学したこともダメージになってると思う。次はまじでチカゼが自殺するかもって、怯えてるはずだよ。前みたいなひどいことは、もうしないと思う」
何も言えず黙りこくっていると、彼女は堰(せき)を切ったようにまくし立て始めた。
「こんなボロ雑巾みたいになったあなたを、私はこのままここに置いておくことはできない。近くに住んでいたら、あなたがしんどいときにすぐに駆けつけることもできる。あなたをひとりきりにしなくて済む。だから東京に帰ってきて」
お願い、とかすれた声で付け加えた途端、彼女の目からぼろりと雫が落ちた。昼の騒がしいたこ焼き屋の片隅で、ぼくたちふたりは、しばらくひっそりと泣き続けた。
京都駅のホームで、ぼくと彼女は約束をした。大学入学直後からうっすら考えていた3年次編入試験を受ける準備を始めること、志望校は関東圏にすること。
そしてきょう、この帰り道に、心療内科を受診すること。指きりげんまんをして、彼女は東京へと帰っていった。
管理栄養士を目指していた彼女は、別れたすぐあとに電車の中から長々と「メンタルにいい食べ物リスト」をLINEで送りつけてきて、ちょっとだけ笑った。そして約束通り、ぼくはその足で心療内科に寄った。