見えていなかったもの、気づかなかったもの
「ゲイを受け入れられない」と発言してしまっている黒田は、安良城がいじめられていたことにも気づいていませんでした。しかも自分は生徒をよく見ていて、それによって慕われている自負もありました。
安良城に「先生は見ないフリをするような大人じゃない。本当に見えていない大人ですもんね」と言われたことに驚き、やっと彼に自分から見えていなかった、見ようとしていなかった部分があることに気づきます。
彼は一見能天気なひどい先生に見えますが、そういった黒田の部分も、誰もが持ち得ていると思います。
世の中にLGBTQ+以外にも多くの種類のマイノリティのかたが存在しているということは、皆さんおそらく知識として知っていることでしょう。趣味嗜好、こだわりなど様々な視点で考えれば、誰もが何らかのマイノリティに属しているとも言えるはずです。
しかし、特定のマイノリティに属していたり属していると公言している人が身近にいない場合、自分から知ろうとしなければ見えないことはたくさんあります。
身近にいても、気にかけたり、見ようとしなければ気づかないかもしれません。これは僕にも言えることで、自分が属さないマイノリティのかたに話を聞くと、それまで知らなかったり気づかなかったことに気づかされるということが多々あります。
いじめに気づかなかった先生に悪気がなかったのと同様に、多くの人が自分が属していないマイノリティの実情を知らない・気づかなかったことにも悪気がありません。
ただし、「悪気がないのだから仕方ない」「それでいいのだ」と考えることは違います。いままで知らなかったならば、知った後で理解することやそれを踏まえて相手を尊重することは十分可能だからです。
それに、今後自分や自分の大切な人が何らかのマイノリティになったりマイノリティであることがわかった際に、困った場面に直面しないとも限りません。そんなときの備えにもなります。
黒田も今後、「いまの自分ではない何かになりたい」と考える事態に陥る可能性があるのです。
誰かの考えるきっかけになれば…
どんなに事態を目の前で見ても、相手が言葉を尽くして話しても「絶対に変わらない人もいる」ことがこの作品のとてもリアルな部分として描かれています。
安良城の言葉は黒田にとって気づきを得て考え方の方向修正ができるチャンスですが、彼はそれを何度も逃してしまい、受け答えもどこか的を得ないまま。
LGBTQ+当事者としてこのような場で考えを公表する際、僕はなるべく冷静に、丁寧に言葉を尽くすことを心がけています。
そうすることで、いまLGBTQ+当事者が周りにいないかたであっても、当事者の存在を身近に感じてもらえるのではないかと考えているからです。
そのうえで、僕は自分が書いた言葉で誰かの考えを正して改めることはできないとも思っています。考えを変えることはその人自身にしかできません。
読んだり聞いたりした言葉を、受け取ったかたが自分で理解して、咀嚼(そしゃく)し、飲み込んではじめて考え方は変わります。あくまで僕の書いているものは考えるきっかけにすぎません。
今回ご紹介した『怪獣になったゲイ』も、「自分ではないなにかになりたい」と考えているもしくは考えていた自分自身の事や、そう考えている誰かについて考えるよいきっかけになる作品です。
文化庁主催メディア芸術祭2021年のマンガ部門審査委員会推薦作品にも選ばれているので、この記事を読んで気になったかたはぜひ読んでみてください。
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