「考えて」「調べて」「実行」する
とまあ、こういう感じで、トレーナーの指示はいっさい受け付けず…私は独自に「考えて」「調べて」「実行」することにしました。
私には当てはまらない、「万人向け」の食生活を推奨されたことから、「絶対に抜け道をさがしてやる!」という私が得意とする「やらなくていいための努力」を開花させました。
「2カ月だけ頑張って!」と言われると、余計に腹がたちます。そもそも「頑張って」という言葉を掛けられることは不慣れであり、言うことも嫌いです。なにより、「こうやれ、ああやれ」と言われることが嫌いな指図が嫌いなひねくれ者…。
先に払っていたお金をキャンセルできないからこそ、週3回はちゃんと通いました。そこでの筋トレメニューは、「怒り」をアドレナリンに変え、自分を追い込むことにしました。
そして「褒美」を欲しがる体には、私は十分に褒美をあたえることに。トレーニングが終わった後、帰宅途中でドーナツ屋により、気持ち悪くなるくらいドーナツを食べました。もちろん、夕食なんて入らないくらい。見るのも嫌…なくらい食べて自分を戒めました。
なぜ、こういう無茶苦茶なことをやっても、体を絞ることができたのか?それは「考えた」からです。
「調べる」は、誰でもできます。今の世の中、ググれば知りたい情報はたくさん出てきます。
だけど最近は「考える」と「実行する」が抜け落ちている人が多いような気がするのです。情報収集に時間をかけ、知恵や知識を頭に入れることだけで満足して終わるパターン。
「考える」「調べる」「実行する」は、ワンセットであるべきだと思うのですが、そもそも考えなくても答えがゴロゴロと転がっているネットの世界。
「考える」=「疑問を持つ」ことだと私は思っています。つまり、「疑問を持つ」「疑う」ということを、多くの人は知らず知らずのうちにやらなくなってきているのではないでしょうか?
トレーナーさんが推奨する「食事制限」や「食事管理」は、私の体が受け付けない。拒絶してしまう。それはよく言えば、私は自分の体の声に正直だと言えるのです。
体が拒絶するようなものを、「体にいいから食べなさい」と言われても、絶対に食べないし、トレーナーさんから言われていた「筋肉をつけたいなら、走るのは辞めなさい」という言葉にも従いませんでした。マラソン選手のように、筋肉は落ちてガリガリになるわよ~…と言われました。
だけど、私はめっちゃ走りました。体重が増えるのは単純に「消費」より「摂取」が多いからであり、足し算と引き算さえできればいいことである。だから、消費を増やすために走りました。
体重を落としたいなら食わなきゃいいし、増やしたいなら食えばいい。ただ、これだけ。
無理に「生のブロッコリー」を食わなくてもいいし、「鳥のムネ肉」ばかり食わなくてもいい。体重を減らすには、単純に「消費カロリー以上に食べなければいい」だけなのです。
筋肉を作るためには、タンパク質が大事になるが、別にムネ肉に限らず、タンパク質が入っているものを食べればいいし、糖を燃やすなら走ればいい。
トレーナーの言うことに、「疑問」を持った私が、ことで、私が体を絞れたことは言うまでもありません。
王道と邪道を「考える」
プロのトレーナーさんのおっしゃることは「王道」であることに間違いはありません。ただし、「邪道」の道でも道は開けるのです。私のように。
私のクライアントさんは体重が増えたことで「食ったからな~」と口をそろえて言います。クリスマスから年末、そして新年。忘年会に新年会。おせちに雑煮…。
食べることは決して悪くない!食べてもいいから、その分「動け」ばよかっただけ。そこには、「外が寒かった」とか「天気が悪かった」など、言い訳はいくらでもあるのです。
こう書いている私も、ジョギングは気まぐれでしかやらないし、外が寒い、雨が降っているのに自分を追い込んで体を動かすなんてことはまずやりません。苦をあじわうジョギングはしません。先にも書いたように、私はいたって自分に甘いのです。嫌なことはやらないし、興味がないものは「知らない」で終わります。
疑問をもって、「なんで?」と知りたい時にだけ、「考えて」「調べる」という癖みたいなものがあるだけなのです。
多分それは、ネットの無かった時代を生きて来たからこそついた癖みたいなもので、「調べる」ことが、ほんとに時間も手間もかかっていたからこそ、定着したのだと思います。
今のように、ネットをいじればすぐに答えが出て来るような時代ではなかったからこそ、まず「疑問を持つ」ことが大事だったのです。
自分の抱えた「疑問」にさえ、調べる価値はあるのだろうか?と、「疑問」を持ち、考え抜いた挙句に、本屋に行って本を買ったり、図書館にいって調べたり、時間と手間を無駄にしたくなかったもんだから、今よりも慎重だった気がします。お金だってかかりますし。
今は「知らなくてもいいこと」がどんどん目についてしまう。しかも無料。動画を見るだけで、おすすめが上がってくるし、「あなたが好きそうな○○」も目についてしまいます。
日本のニュースサイトなんて、誰だかわからない人の謝罪、不倫、恋愛…。無駄なことが多すぎると思います。
「疑問を持つ」ことができない人は、どんどん情報を鵜呑みにする習慣がついてしまう。間違った情報であるのか、真偽を調べようともしない。ただただ、インプット。これではうまくいきません。