「好かれること」と「信頼されること」は全くの別物
誤解のないように補足しますが、この男性、ベルをとても可愛がってくれましたよ。
山のようにオモチャやトリートを買ってましたし、リターンされてきたベルには、クリスタルやラインストーンの施されたキラッキラの首輪がついていました。バレリーナのようなスカートまで履いていましたからね。
そこまでお金かけて、いろんなものを与えてきたにも関わらず、ベルがこの男性を受け入れることができなかったということです。
なぜかわかりますか?この男性がベルに与えたモノは、ベルが欲しているものではなかったということです。
キラキラの首輪やリード、高級なお菓子、ピンクで揃えられたエサ入れにクレート、ヒラヒラのスカート…。それらは「彼」が「与えたかったモノ」であったのにすぎません。
ベルの「おしっこを漏らす」という問題も、怖がっているベルを理解せずに、彼がベルの望んでいないことをやろうとして、チビってしまっていたわけです。呼んでも来ないベルを捕まえようとしてみたり、抱っこされることを拒むベルを抱っこしようとしてみたり…。
ベルのことが理解できなかったからこそ、この男性は2カ月というときを費やしても、ベルからの信頼を得ることができなかったわけです。
以前にもお話ししましたが、「犬から好かれること」と「犬から信頼されること」は全くの別物。
人間で考えてみましょう。
欲しい物をすぐにくれるおばあちゃん、おじいちゃんは、子どもたちは大好きです。でも、それが徐々に当たり前になってくると、「欲しい物をくれるおばあちゃん、おじいちゃん」の存在は当たり前になります。ちょっとでも「くれなかった」ということがあると、子どもはふて腐れます。
貰えて当たり前が習慣づくことで、貰えなかったときに「腹が立つ」という感情が芽生えます。
「なんだ、買ってくれないんだ」とわかった途端、そっぽを向く。これは子どもなら当然素直に態度に表します。
孫にそっぽを向かれたおじいちゃんとおばあちゃんは、どうします?孫に嫌われないように、考えをあらためて「わかった、わかった…買ってあげるから機嫌なおして!」と、こうなります。嫌われたくないからです。
これ、主導権はどっちが握ってますか?子ども(孫)ですよね?主導権が子どもにあるってことです。「信頼」ではなく、「主導権」です。
信頼とは、「リスペクト」です。モノやお金で相手の心や気分を高めるものではありません。犬と人間も全く同じです。
犬を飼いたい、そして犬を手に入れた人は、犬がとっても可愛らしく愛らしい…だから、「おじいちゃん、おばあちゃん思考」に陥ってしまいます。
私が度々セッションをするときも、子どもには「ちゃんと宿題しなさい!」とか「いま私は人と話をしてるんだから、静かにしなさい!」とか「向こうに行ってなさい!」とか注意するくせに、犬が爆吠えしていても平気なんです。
犬に従っていませんか?
昔、ヨークシャテリアを飼っていた警察官の家にいってセッションしたとき、まさにこれでした。
男性の警察官は、私に「自分の飼っているヨークシャテリアが吠えたり、家具を破壊したりで手に負えない」と相談してきました。
その話を私が黙って聞いていると、その家の子どもたち3人が、警察官のお父さんに「ゲームが壊れたから治してくれ」とか「お兄ちゃんがゲームを貸してくれない」とか、割り込んできたんですよ。
そのとき、このお父さん(警官)が、「いまは人と話をしてる最中だから部屋に戻ってろ!」って一喝したんです。子どもたちはすぐに言うことを聞きましたよ。
なのに、です。ヨークシャテリアのキャンキャンという吠えに困ってるんです。
「あなた、いま息子さんにやったことが、なぜ、犬にできないんですか?」私がそう聞くと、彼は「あ…」と気づきましたね。
犬という着ぐるみをきた、可愛らしい動物に、自分を見失うんです。
私、このお父さん(警官)にいいました。「あなたは、犯人がモデルさんのようにキレイな女性だったら、警官としての態度を変えるんですか?」と。
「相手の身なりや服装で、犯罪者に対する態度を変えるんですか?」ってことです。それを問うと、彼は気づいたんです。
「息子には指示ができて、ヨーキーにはできないということは、あなたは人によっては態度をコロコロ変える警察だと認識してもよろしいですか?」と。
私とそのお父さん(警官)が話している最中も、ヨーキーはクレートでギャンギャン吠えてましたよ(笑)。
この会話の後、「じゃあ、お父さん…いまクレートで犬が吠えてますが、どうします?あれでいいですか?」と聞きました。
彼はすかさずクレートの前にいって「ヘイ!静かにしろ!」って言ったんです。吠えはピタリと治まりました。
自分が「警察官だ」という自覚があるとき、つまり彼がユニフォームをまとったとき、彼の心理は変わります。「警官」になるんです。そして仕事が終わると、制服を脱ぎます。家では「お父さん」になるんです。
つまり「お父さん」に着替えるわけですよ。子どもたちがいる家庭では、「お父さん」に変身するんです。
それが「犬」を相手となると、デレデレになってしまうんですよね。美人をみて、鼻の下のばしてるオヤジになるということです。
ユニフォーム、制服っていうものは、態度(心理)を変えるモノでもあります。仕事モード、リラックスモードというのも、身に着けているもので簡単に変化しますよね。
息子には叱るくせに、クレートで吠えてる犬に対しては、「はいはい」と出してあげる。
それはうるさいからかもしれません。でも、そうやって犬に従う関係性を作っておきながら、「犬が言うことをきかない!」と言っているわけです。矛盾してますよね?
自分のいうことをなんでも聞いてくれる人は、好かれるかもしれません。
でも、昔あった言葉に「みつぐ君」だとか「アッシー」(足になってくれる人)…そう呼ぶ時代がありましたよね?そういう人が周りにいると便利ではあるけれど、リスペクトしますか?むしろ、反対に「小ばか」にして付き合うはずです。利用するだけですから。便利だからですよね?