SNS上にあふれる誹謗中傷をはじめとする非難や批判は、それを受け取る側のみならず、発信する側にとっても自分が自分らしく人生を歩むことの妨げになっています。
僕は、誰もが本来の力を取り戻し、魂レベルから望む人生を創り出すための方法、「目を醒ます」ための方法として、まず非難や批判を手放すことを勧めています。それが、高次の存在たちからのメッセージでもあるからです。
非難や批判に、正義も道理も存在しない
目を醒ます方向から大きく道をズラしてしまう要素は、いまもあらゆる分野で蔓延している「非難」や「批判」です。
「国が悪い」「何が悪い」「誰が悪い」「これがなってない」という、一見、正義と道理が通っているように見えるこれらはすべて、「責任転嫁」の現れです。
自己責任であるはずの自分の人生を、国のせいにしたり誰かのせいにしたりするというのは、何をどう理由づけたとしても、自己責任を放棄していることと一緒です。
《たとえ誰が聞いても「その通り」と認めてくれるような正当性を持っているものであったとしても、非難や批判がベースにあるのなら、それは目醒めの方向性からズレてしまうことになります。いま、まるで「トラップ(罠)」のように、ここにひっかかってしまっている人たちがとても多いのです》と、高次の存在たちは伝えてきています。
最近はわかりやすく「夜の時代(眠り)から昼の時代(目醒め)へと移行する」と表現していますが、「夜の時代(眠り)」の代名詞とも呼べるものは「非難」や「批判」でした。
でも「昼の時代(目醒め)」には非難や批判は存在しませんし「存在できません」。
ですので、もしあなたが「昼の時代(目醒め)」へと移行したいのであれば、もっとも手放すことが難しい「非難や批判を手放す」ことです。
非難や批判を、愛と調和に
この非難や批判は、「正義」や「大義名分」には必要なもので、「手放してはいけないもの」「それは絶対的に必要なもの」とさえ思い込んでいる人が多いのです。でも、非難や批判を手放すということは「目醒めへの最終的な登竜門」であるともいえる、大きな課題でもありますね。
《目醒めることを決めたあなた方は「非難や批判を意識的に捉えて、手放すこと」に意欲的なってください。あなたが目を醒ましたいのであれば、非難や批判ではなく「愛」と「調和」をベースにした「意見」を伝えなさい。》
《意見を伝えることは、非難や批判をすることとはまったく違います。非難や批判のベースに、愛と調和は、まったくありません。たとえば「あいつが悪い」「あんなやり方はなってない」と言うことのどこに「愛」と「調和」があるのでしょうか?それはただ、「怒り」や「不満」をぶつけているだけです。
「意見を言ってるんだ!」と思っていたとしても、何かや誰かを指して「何でこうしないんだ!あのときのあれがダメだったから、いまこうなってしまったんだ!」「その通り!そうだそうだ!」と責めているだけなら、非難や批判を使った「いじめ」でしかなく、何の意味もありません。「団結のように見える」これらが一番の罠になり得ます》
《もしあなたが「本当に意見を伝えたい」のであれば、「愛」と「調和」を常に意識した発言を心がけなさい。そうすると、自ずと表現する媒体や表現の仕方も変わってくるでしょう。今世、目を醒ますことを望むあなた方がすることは、行動のベースに「愛」と「調和」があるかどうかを常に確認することでもあるのです。》と、高次の存在たちは伝えてきています。