基本的に初デートでいい思い出なんてありやしない。私の場合はそうだった。
いや、すべての人が初デートが史上最高のデートだった!なんてことはあり得ないのではないだろうか。
私からすれば、前々日からのむくみ対策と入念な体毛のケア、お高めのクレイパックとおろしたての洋服にお気に入りのリップなど、初デートにかけた労力をすべて取り返せるほどの幸甚(こうじん)の至り喜色満面になれることはないのだと諦めている節がある。
だからと言って、初デートにサイゼはどうなんだ?数年前からたびたび燃え上がる“サイゼ論争”において、最近では『サイゼで喜ぶ彼女(女性がサイゼリヤで嬉しそうに笑っている姿を描いたイラスト)』が物議を醸した。
論争の論点は際限なくズレていき、サイゼリヤがおいしいかおいしくないかまで話は発展。デートに選ぶ場所としてのサイゼリヤが問題なのか。初デートにサイゼリヤが問題なのか。終わりの見えなさそうなこの論争は、恋愛におけるさまざまな価値観を紐解かないと話が進まなそうだ。
今回のテーマは、この「初デートでサイゼ論戦」について。もちろん、必ず男性がプランを練らなければならないというわけではない。女性が考えてもよいし、互いにアイデアを出し合って考えるのもよい。それを前提として、今回は成人男性が自身主導のプランを組むときの話をする。
価格は関係ない。「初デートでサイゼ」が燃える本当の理由
SNSを見ていると多くの男性が勘違いしているのは、「女性はサイゼリヤの安価な価格から初デートの場所として相応しくないと言っている」というところだ。
たしかに、なかには男性の経済力を初デートのレストランで計る女性もいるかもしれない。だが、女性がそれ以上に重要視しているのはそこではないのだ。
そもそも男女における初デートの価値観の違いには「自分のことをどれだけ考えてくれたのか」が大きな影響を及ぼす。これは、多くの女性が恋愛において最大級に求めるものと言っても過言ではないのではないだろうか。
そこで言えるのが、「初デートをするという関係に至った相手へ対する思いやりを物理的に表せる手段が初デートのプランなのではないか」ということだ。
彼女を喜ばせたい、楽しい時間を過ごしたいという彼女への想い、言い換えれば「一緒にいない時間にどうやって・どんな風に・どれだけ彼女のことを考えたか」がわかりやすく表れるもの。
女性にとっての初デートのプランというのは、お互いに知らないことが多い関係のなかで、最終的に自分に対して生み出してくれた最大級の思いやりの証明なのだ。
なぜサイゼを選んだのか。彼女に話せますか?
それがサイゼリヤ…。いや、サイゼリヤは確かにおいしい。お値段以上の満足感をいつでも味わえる素晴らしいファミリーレストランだ。しかしながら初デートとなると、ひとまず、サイゼリヤの入口へ立った瞬間の女性の反応はイマイチであることが容易に想像できる。
女性側からすれば、最大級の思いやりの証明が「小中学生時代にドリンクバーでドリンクを混ぜてこの世のものとは思えない飲み物を作ったり、少ないお小遣いでミラノ風ドリアと水しか頼まなかったりした思い出であふれたサイゼリヤ(個人差あり)」になってしまうからだ。
「そんなつもりでサイゼリヤを選んだわけじゃない!」という男性の声が聞こえるとするならば、その「どんなつもり」でサイゼリヤを選んだのかを女性にどんな形にせよ伝えてほしい。
初デートにサイゼリヤを選んだのは、「世界中の誰よりもおいしい食べ方を知っていて、それを相手の女性に教えてあげたい!絶対笑顔になるから!」などの熱い思いを伝えられる絶対的な自信や、「あえてサイゼリヤという気兼ねなく話ができる場所で、お店の雰囲気や料理に頼らず、彼女が腹を抱えて笑い、きょう一日幸せだったと思わせられる!」と豪語でき、彼女の最大級の笑顔を引き出せるトークスキルが必要なのではないだろうか。
そんな自信もスキルもなく、「初デートでサイゼリヤ」をただ推すなかでサイゼリヤの食事のおいしさを反論として振りかざしたり、なんの前提もなく「サイゼリヤで喜ぶ女」を讃えたりするのは、検討はずれにもほどがある。
先に私の例を挙げて話した通り、女性は初デートに向けてさまざまな準備をする。彼を喜ばせたい一心で彼の好みを図ったり、隣を歩いて彼が恥ずかしくないように努力する。誰もパジャマとすっぴんでは初デートにこないだろう。
そんな女性に対する最大級の思いやりの証明を怠り、慢心する人間が果たしてお相手の女性と結ばれることはあるのだろうか。結論は言うまでもない。