あなたの大好きなことで大成功している人が、「どうして夢が叶ったか」とテレビで語っていると想像をしてください。あなたならその番組を観ながら何を感じるでしょうか。
「こうして成功する人って結局はひと握りなんだよなあ」「口では容易くいっているけど努力をしたんだろうな」「運がいい人は何やっても成功するよ」「あきらめずにやり続けたらチャンスが巡ってくるんだな」…
同じ出来事を観ていても、そこから何を感じ、何を事実とするかは人それぞれ。そしてその捉え方次第で、人生が変わっていくといっても過言ではありません。
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観念を手放す
ひとりの人間の心のなかには、数えきれないほどの「観念」が存在します。「観念」のなかには、誰かから伝わり受け継いだものがあります。
それは、国やその文化圏で共通した「考え方」の場合もあれば、家族などの小規模な集団で持っている「物の見方」もあるでしょう。
「観念」が存在する目的は?
観念が存在する目的は、2つあります。1つ目は「石は固い」や「海は深い」「空は青い」など、私たちがある程度同じ事を想像したり、伝えたり、経験するための「利便性」のため。
2つ目は「上手い話には気を付けろ」や「人を簡単に信用するな」など、過去に傷ついた経験や失敗から、あとの者を守ったり、よりよく生きられるために伝えられた「教え」のときもあります。
私たちが受け継いだ「観念」はもともと否定的なものではなく、経験を共有したり、体験を伝えたりまた誰かを守ったりするものでした。私たちの経験には切っても切れないものということです。
ただ、その観念は常に「絶対なもの」なのか?「真理」をいっているものなのか?と、考える必要があるでしょう。
石のなかには「脆い石」も存在するし「やわらかい石」もあります。海には「浅い」場所もあるし、空も「青」だけとは決まってはいないです。どんな観念を持っていたとしても、それがすべてではないということに、気がついているかが大切なのです。