私たちの心は傷ついたとき、ちゃんとしたプロセス(順番)を通らないと、癒されたり満たされたりまた前に進んだりできないものです。その一番始めに必要なプロセスが「受容」です。
しんどかったね、苦しかったね、悲しかったね、辛かったね…。そう痛みをわかってもらう時期、自分が感じてきたことを受け止めてもらうことが心に必要なときです。
なんで「受容」が必要なの?
子どものころ、学校で友達と喧嘩になってしまって相手を泣かせて帰って来た。心のなかには相手を許せない気持ちも、自分がどれだけ傷ついているかという気持ちも、またでも少しやりすぎたかなという気持ちも、罪悪感も、いろんな気持ちでいっぱいいっぱいになって、涙があふれて止まらない。
それなのに、お母さんはそんな気持ちをひとつも聞いてもくれず、「どんなことがあっても喧嘩する子はダメな子よ、いますぐ○○ちゃんに謝って来なさい」といったとしたら…。心は潰れてしまいそうになるような気がしませんか?
夫が浮気をしていることを知って、何カ月もひとりで苦しんだけれど、どうすることもできずに友人に相談したら、「男ってそんなものよ、許して夫婦していくしかないよね。あなたがその人を選んだんだから」といわれたら…。
「どうして○○ちゃんと喧嘩になってしまったの?」「そうかいままでにそんなことがあったんだね」「それはすごく悔しくて、悲しかったよね」「すごく辛かったんだよね」「それで我慢できなくなって○○ちゃんにそんなこといっちゃったんだよね」。
心にとってはこの「受容」って、とてもとても大切なのですね。充分に受容さえされれば、心は自然に次のステップに進んでいくことも少なくありません。
「こうするべき」で行動していたら…
実はひとりで問題を乗り越えたり、心と向き合うときでもこの受容って本当はすごく大切なのです。でも多くの場合、自分の感情は置いておいて「こうすべきだろう」という行動に移ろうとしてしまいます。そう、さっきのお母さんや友人のようにね。
いけないやりかたではないのですが、置いてきぼりにされた感情は心のなかで蓋をされて、普段は感じないようにまたなかったかのようにすることができるかもしれませんが、蓋の下ではずっとくすぶり続けているのです。
だから何年も経ってからでも、何かのきっかけでその感情が飛び出してくることもあるのです。最近、また何か怪しげな行動が目につく夫に向かって、「あのときのこと、忘れたの!」「あなたをずっと信じて来たわけじゃないのよ!」というように…。
すべてがそうだということではないのですが、心のなかの蓋のしたには、あのときの感情がずっとくすぶっているといえないでしょうか。