愛されていないことが苦しいとき
心の癒しにとって受容がとても大切なことで、受容ができていないと心は本当の意味で前に進めない。そのことを少しイメージしていただけたかと思うのですが、ここからの話はそれができてからのお話かもしれません。
だから、もし「何をいっているのかわからない」とか「そんなことできっこないでしょ」「どうしてそんなことしなきゃいけないの」と、心が反応したとしても、「私の心にはまだもう少し受容が必要なのかも」とだけ思っていてください。
では、愛されていないと感じてしまうとき。私たちの心はとても傷ついてしまいます。裏切られたとき、傷つけられたとき、利用されているだけかもって感じてしまうとき。それはパートナーだけに感じることでもないかもしれません。
友人に、社会に、大切に思う人に…「自分は必要とされていないのでは?」と感じてしまうとき、その人のなかで私は一番になれないんだと思うとき、私のことを見てはくれていないと思うとき、私が大切にされていないと思うとき、私は「愛されていない」と感じるとき。
そのとき、少しだけ立ち止まってみてください。私はいま、その人を愛しているだろうか?私はいま、その人のことを、愛せているのだろうか?あなたのことを見てくれていないその人のことを、あなたは見てあげられているだろうか?あなたのことを一番に想っていないその人を、あなたは受け入れられているだろうか?あなたのことを大切にしてくれていない人を、あなたは大切にしているのだろうか?
「愛する」には、答えはありません。いまのその人を受け入れることかもしれない。私から何かを与えることかもしれない。優しくしてあげることかもしれない。言葉をかけてあげることかもしれない。触れてあげることかもしれない。笑顔を見せてあげることかもしれない。
でも、自分が愛されていないと感じるとき。自分もいま、その人を愛せてはいないかもしれないということに、ただ気づくだけでいいのだと思います。そのとき、少し前に進める気がしませんか?
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