育った環境に作られた、破滅的な「人生脚本」
実はBさんの母親は、Bさんが小学校低学年のころには鬱病になっていて、いつも部屋に引きこもっていたそう。幼かったBさんにはよくわからなかったようですが、薬の影響と、多分アルコール依存もあったらしく、母親とは普段の会話自体が成り立たなかったのだとか。
一方、会社員だった実父は家のことはすべて幼いBさんに任せっきりで、Bさんが掃除や食事、アイロンがけなどの家事全般から、お母さんの身の回りの世話、さらにはお父さんの晩酌の世話までやっていました。
そうした家庭環境の影響は、大人になっても無意識にBさんを縛り付けていました。
Bさん自身、何事もなく平穏無事に安心した生活を送りたいと願っているのですが、「解決できない問題を抱えている人を献身的に助けることが自分の存在価値」ということを、父親に幼いころから家庭環境という生活の場を通して刷り込まれてきたため、大人になってからも、自分の足元の問題を棚上げしても、自らあえて問題を抱えた人のところに飛び込み、さらに問題を増やしていたのです。
「無意識の自作自演」です。これを「人生脚本」といったりもします。
自分の人生の脚本をどんなストーリーにしているのか?ハッピーエンドなのか、はたまた破滅的なストーリーなのか…。どんな脚本を思い描くのかによって、体験する世界は思いっきり変わります。
「人生脚本」を書き換えるために
この自作自演のなにが悩ましいのかというと、自作自演をしているということに当の本人がこれっぽっちも気づかないまま自作自演を延々と繰り返してしまうということ。さらには、自分は社会的に正しいことをしていて、「相手が100%悪い!」と本気で信じていることが少なくないということです。
そもそも、自作自演の脚本だということに気づけなければ、脚本を書き変えることができないので、エンドレスで繰り返します。
そして、「相手が100%悪い!」ということを信じていると、いわゆる「反省」とか「自己分析」とかいうことをしなくなるので、やはり一向に現実は変わりません。
ですから、いつもお話ししているのは、「どうすれば現実を変えられるのか?」ということも大切なことなのですが、それの前に「私は何を信じているのか?」ということに、はっきりと気づくこと。そして、気づいたことをしっかりとまずは受け入れ認めること。
言い換えるなら、「現状の自分の立ち位置を知ること」なんじゃないかなって思っています。スタート地点が不明なまま、カーナビを設定しても機能しませんよね?
なんとなく「共依存」の悩ましさについてはイメージが付きましたでしょうか?今回は女性の事例を話ししましたが、共依存は何も女性に限ったことではありません。問題を抱えた妻や恋人と共依存関係になって苦しんでいる男性クライアントも少なくないのです。