育った環境は「しょうがなかった」ものなのか?
幼いBさんに家政婦以上のことを丸投げしていた実父に対して、いまどう思うのかを聞いたところ、最初のころは、「父は仕事もあるし、お母さんも鬱なのでしょうがない」とおっしゃっていました。
ですが、セッションが進むにつれて父親に対して、
「大人としてどうなのか?」
「夫としてどうなのか?」
「父親としてどうなのか?」
「人としてどうなのか?」
などとメタの視点から客観的に、冷静に見ることができるようになったBさんは、「父親は人としてかなり臆病で情けない無責任な人だった」ということに徐々に気づいていきました。
幼かったBさんにとって一番嫌だったことは、
- お父さんに迷惑をかけること
- お父さんに心配をかけること
- お父さんをガッカリさせること
だったそうで、いつも気丈に笑って強がっては大人のふりをしてきたといいます。
でも、いまになって冷静に思い返して思うのは、そういうふうに振る舞っていないと、お父さんの機嫌がみるみる悪くなって、ただでさえ具合の悪いお母さんのことを罵倒し始めるからだったことにも気づきます。
そうやってBさんは徐々に、鬱で具合の悪いお母さんを守るために、お父さんを慰め、お父さんのご機嫌取りを一生懸命させられてきたという、過酷な幼少時代を客観的に振り返ることができるようになりました。
毒親との共依存からの脱却
一家の大黒柱役を幼いBさん自身がやっていたという「親子の役割逆転現象家族」で育ったBさんは、「大人になったいまでも、相手の機嫌をとることで、幼かった当時に父親を上手に慰めることができなかった罪悪感を癒し、自分の存在意義を確認しようとしていた」せいで、いつもなんらかの問題を抱えた男性をパートナーに選んでしまっていたのでした。
子ども時代と同じような悩ましい関係性に突入していたことに心底気づいたBさんは、共依存状態から抜け出すことを決意します。
幸い手に職を持っていたので、離婚で得られた慰謝料で部屋を借りて就職もしました。
また、親と向き合う覚悟ができことで、勇気を出してこれまでの自分の本音を手紙に書いて父親宛に送り、その後、実家とはすっかり縁を切った状態です。
Bさんは、「ときどき、父から悪かったという謝罪の電話があるのですが、それが口先だけで、結局は母親や自分の老後の面倒を見てほしいから謝っているだけだということがわかっています。将来的にはどうするかはまだわかりませんが、いまはとにかく自分の人生を精一杯生きたいと思っているので、実家とは連絡を絶ってます。そのせいか、精神的にとても安定するようになりました」とのこと。
Bさんの事例をもとに「共依存」という切り口から、毒親が生み出す悩ましい依存体質についてお話ししてみました。
次のページでは、共依存度合いをチェックする簡易的なチェックリストを公開します。「私も共依存なのかも?」と思われる方は、ご自身と向き合うきっかけにしてください。