日本人には多い共依存的な生き方
こういった共依存の行動様式は、特に日本人に多くみられるものです。あまりにも日本の文化のなかで当たり前になっていて、共依存的な人ほど他人の世話をする「よい人」として見られがちです。
共依存とは、一言でいいあらわすと、「愛情という名を借りて、相手を支配すること」です。共依存関係にある人たちは、苦しみながらも離れることができません。アダルトチルドレンでは共依存関係が現在も続いている場合が多く、これが回復を困難にしているのです。
そこで、アダルトチルドレンからの回復には「共依存関係にある相手(特に親)との訣別」が必要になります。しかしながら、親との訣別は簡単なことではありません。そこで、当ルームではアダルトチルドレン癒しの心理療法をおこなうことで、根本的な解決に取り組んでいます。
カウンセリング事例
それでは、カウンセリング事例をひとつご紹介しましょう。
40歳で会社を経営している大輔さん(仮名)。カウンセリングを受ける前は、仕事はそこそこうまくいっていて、家族ともなかよくやれていました。しかし、漠然とした寂しさが襲ってきて、胸のあたりが苦しくなることが時々あったそうです。
自己啓発の本を読むと気持ちがスッキリすることもありましたが、翌日にはまた同じ状態に戻ってしまうという状態でした。
大輔さんは、3回目の「幼児期退行催眠」で漠然とした寂しさの理由がわかりました。「幼児期退行催眠」では、6歳くらいの自分が出てきたといいます。
6歳の大輔さんは実家の庭で、はだしでころげまわったり、鉄棒で遊んでいます。しかし、ひとりで遊んでいて、どことなく寂しそうな感じでした。誰かと一緒に遊びたいけど、遊んでくれる相手はいません。遠くでおばあちゃんが見てくれています。
大輔さんはそのとき、本当はお父さん、お母さんに遊んでもらいたかったのです。たくさん甘えたかった。ですが、お父さん、お母さんは仕事で忙しく、遊ぶ暇もありませんでした。
イメージのなかで現在の大人になった大輔さんが、6歳の大輔さんに会いにいきました。そして、6歳の私にゆっくり近づいてこういってあげました。
「こんにちは、大輔くん。私が大人の大輔だよ。きょうはあなたに会いにきたよ。ずっと会えなくてごめんね」すると、6歳の大輔さんはニッコリ笑いました。そして、一緒に遊んだり、抱きしめてあげました。6歳の大輔さんは楽しそうでした。
大輔さんは、この心理療法・カウンセリング後、「漠然とした寂しさは、6歳のころの自分の寂しい思いだった」「大人になった自分なら、6歳の自分を愛することができる」ということに気づいたそうです。
日常生活では、胸に寂しさを感じるたびに、イメージのなかで6歳の大輔さんを抱きしめてあげるように。すると、あたたかい気持ちになり、気分が楽になりました。以前と比べると、漠然とした寂しさが襲ってくることは少なくなったと話していました。