毒親育ちは「生きづらい」
愛着形成された状態を、私たちの身近なものに例えるなら、それは「しっかりとした損害保険に入っている車を運転する」ようなものです。
しっかりと保険がかかっていることを知っているから、私たちはビクビクオドオドしておっかなびっくりしながら運転するのではなく、安心して運転ことができるわけです。(だからといって無謀な運転してもいいということじゃないですよ!)
しかし親がなんらからの問題を抱え、そのことで頭が一杯になるなどして、子どものことが眼中にないと、子どもが何を考え、何を求めているのかに気づけません。
そうした状態にあると、子どもは心理的に無視された、拒絶されたと感じてしまうので、心の中の備蓄庫には、なかなか肯定的なフィードバックを保管できません。つまり愛着形成がなされていかないということです。
それどころか、本来は親自身が解決しなければならない問題を、あたかも「お前のせいでこうなったのだ!」と言わんばかりに子どもに丸投げし続けるような家庭環境では、子どもは心の中の備蓄庫に「私は親にとって迷惑で、お荷物な存在なのだ」というとても強烈なネガティブメッセージを受け取り、保管し続けることになります。
他人軸で生きるしかない子どもたち
日々、自分という存在そのものが、この世界に迷惑をかけていると思って生活することは、大人だって相当きついはず…。そこで、なんとかして自分の存在価値を高めようと、死に物狂いで自分を犠牲にしてまで親のご機嫌取りを頑張るようになります。
そうしているうちに、いつしか自分が自分のことをどう思うかよりも、「親が自分のことをどう思うか」によって、自分のことを定義するようになります。
そのため、自分の本心を顧みることなく、どこかに置き去りにしたまま、
- 親の機嫌をよくできるように振る舞えるのが「よい子」
- 親の機嫌を損ねるように振る舞うのが「悪い子」
という「親の機嫌基準」「親の評価基準」で、物事の善悪や是非などを判断することが習慣化してしまうのです。いわゆる「他人軸の生き方」ですね。
こんなふうに、自己の存在理由を親の機嫌のよし悪しに依存した状態は、言い換えるなら「心が空っぽの状態」ともいえるわけです。
そして心が空っぽな状態のまま、広い社会に出てしまうと、さまざまな問題を抱えることになりやすいのですが…。それについては次のページでお伝えします。