子どもの評価=自分の評価
過干渉な親は、自分の中に「子どもをしっかりとコントロールできていないと、自分が親として失格者の烙印を押されてしまう」という不安感や恐怖感を持っていることが少なくありません。
「子どもの評価=自分の評価」なので、過干渉をセーブすることができないのです。
子どもを親の価値観の枠組みに押し込めることで、余計な心配や不安を抱えることを避けようとしていることもあれば、子どもをコントロールすることで、渇望している自尊感情を満たそうとしていることもあります。
いずれにせよ、本来は親自身が解決しなければならない自分の内面の問題を子どもに転嫁することで、自分が心理的に楽になろうとしていることに実は気づいていなかったり、気づいていてもやめられなかったり…という、心理的に悩ましい状態にいます。
「気づいていない」場合は、悪意はありません。そういう親も一括りにして「毒親」と呼ぶには個人的にはかなり抵抗がありますが、便宜上、「毒親」と表現します。
子離れできない親と、親離れできない子ども
とはいえ、そうやって過干渉されながら、親が抱えている不安や恐怖、過剰なまでの義務感までをも一方的に背負わされてしまった子どもは、大人になるに従って、「私は、どうやらかなり親に依存的なのかも?」ということに気づいたとしても、自己決定権や、主体的にアクションを起こしその責任をとるといった体験を奪われ続けてきたことから、自らの意思で親の教えに反することに不安や恐怖を感じたり、強い罪悪感を感じてしまったりして、簡単にはその状況から抜け出すことができません。
一方、親の方は親の方で、そんな臆病な子どもに対して「私が守らなければ」などと思い、さらに干渉し続ける。場合によっては、子どもが臆病で自分に依存することを内心喜んでいたりすることもあります。
過干渉によって子どもをコントロールしようとする親は、自分が子どもから必要とされなくなることや、自分の価値観の外に出てしまうことを過剰に恐れていることがとても多いので、意識的にも無意識的にも子どもを自立から遠ざけ、依存的になるように仕向けます。
しつこいようですが、無意識の場合は悪意はないため、そういう親も一括りにして「毒親」と呼ぶには個人的には抵抗がありますが、便宜上、「毒親」と表現します。
口では「まったく、あなたはいくつになっても本当に自分ひとりでは何も決められないし、何もできないのね…」「そんなんじゃ、誰も相手にしてくれないわよ…」などと言いながらも、そういう大人になるようにしっかりと育てているわけです。