さようなら、昔の私
雄平との同棲を決めた私は、自宅で荷造りをしていた。雄平とお姉さんも手伝いに来てくれている。
「芹那ちゃん、ほんと部屋キレイ!私引っ越したときなんて、テレビ台の下とかからお化けみたいな埃の塊出てきたよ?」
「マジ姉ちゃんは、芹那のこと見習ってくれよな~旦那さんかわいそう」
まさか一人暮らしの部屋を退去するとき、手伝ってくれる人が現れるとは思っていなかった。きっとこの部屋を出るのは、実家に戻って来いって言われたときなんだろうなと思っていたから。
すると、突然玄関のドアが開いた。立っていたのは、母だった。
「ちょっと芹那ちゃん、帰ってきてるなら連絡して…って、どなた?なにしてるの?」
「あ、はじめまして。ご挨拶遅れてすみません。小島雄平といいます、芹那さんとお付き合いさせていただいています」
「は?どういうこと?そんな話私聞いてないけど」
お母さんは明らかにイライラした様子で私をにらみつけてきた。そして段ボールの山を見て絶叫する。
「なにしてるの?この段ボールは何?」
「引っ越し」
私はその怒鳴り声に泣き出したくなるのをグッとおさえ、冷静に返事をする。するとお母さんはおもむろに、すでにガムテープでふたをした段ボールを開けだした。
「ちょっとお母さん、何してるの?」
「お母さんに内緒で勝手なことするなんて許さないから!どうせろくでもない男に騙されてるのよ!ひとりで勝手に引っ越しして、どうせ痛い目見て終わるのがわからないの?」
「ねえ、やめてよ!」
「親に隠れてコソコソするなんて、親不孝者だってみんなに言われるわよ!そんなに迷惑かけて楽しいの?どうして勝手なことばかりするの?そんな悪い子に育てた覚えはないわよ!」
「私のやりたいことを、もう邪魔しないでよ!」
自分でも驚くくらい大きな声が出た。お母さんは驚き、私の顔をじっと見つめてきた。
「どうせ失敗しても知らないから、お母さん絶対助けませんからね。あとで泣いて帰ってきても、絶対家になんていれてやらないから」
そのまま母は部屋を出ていった。怒りで身体が震える。涙がぽろぽろと出てきて、さっきの怒鳴り声が頭の中を駆け巡った。
「芹那」
声に気づいて振り返ると、雄平とお姉さんがいた。そっと背中を撫でてくれる。
「大丈夫、よく頑張った」
「何もできなくてごめんね、私もガツンといえたらよかったかな」
優しく笑う二人の顔を見て、思わず自分も笑顔になる。震えが収まって、ようやく解放されたんだという気持ちになれた。これまで26年間自分の心をがちがちに固めていた「親子」という鎖が、ポロポロと崩れていった。
1カ月後、母から久しぶりに来たLINEには「引っ越し祝いを送るから、住所を教えて」と書いてあった。「いらない」と一言、返事を送る。
自分の意思を伝えられるようになるだけでこんなにも心が軽い。呼吸がしやすくて、世界が広く見える。これまで見てきた景色が嘘みたいだ。
私は自分の好きな絵を描きながら、ゆっくりと、きょうも平穏をかみしめている。
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- ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
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