大人になるまで「親の言いなり」でいることが当たり前だと思っていたけれど、本当はそうじゃなかった。
私が自由を手にしたいと願ったとき、お母さんは許してくれるのか…それとも、また私を「頭が悪い」と言って責めるのかな。
用意されたレールを歩くのは、楽なんだと思ってたけれど
月曜日の朝、目が覚めたら何もかもやる気がなくなっていた。身体が重い、動かない。仕事に行かなくちゃいけないのに、まったく頭が働かない。布団が私を離さない。
気づいたら職場に電話をかけ、一週間休ませてもらうことになった。しかし結局、一週間たっても私は職場に行けず、そのまま仕事を辞めた。
働いてるときは「辞めるって言ったら、周りにどう思われるんだろう」ってビクビクしていたのに、心が決まれば案外あっけなく退職できた。
「芹那、仕事辞めれたの?」
「うん、無事に退職できた。特に引き止められることもなかったよ」
「そっか、しばらくは気にせず休めるね」
パートナーである雄平は私が退職すると決めても、何も責めてこなかった。むしろ「自分でそう決めたんだから、応援する!」と背中を押してくれた。26年間生きてきて、自分の意思が認められる喜びを知った。
一週間分の着替えを持って雄平の車に乗り、そのまま自宅を後にする。退職後は、彼の部屋でしばらく過ごすことにしていたのだ。
そして一週間後再び自宅に荷物を取りに戻ると、案の定母親からの手紙や食料が部屋に置いてあった。
“芹那ちゃん、お仕事を辞めたと部長さんから聞きましたが本当ですか?どうしてお母さんに相談してくれないんですか?あとでゆっくり話したいので電話ください”
“芹那ちゃん、しばらく家に帰っていないみたいですがどこにいるんですか?新しい仕事を探しているんですか?お隣の佐々木さんが、うちの事務所で働かないかと誘ってくれました。芹那ちゃんをみんな心配していますよ”
“芹那ちゃん、食事はちゃんととれていますか?どこに行ったのだろうと心配です、何か事件に巻き込まれているんじゃないかと不安です。明日も会えなかったら、警察に相談します”
私は母親の手紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨てる。警察に相談?26歳の娘が、仕事を辞めてから連絡が取れないんですって?私ちゃんとお父さんに連絡したじゃない、「しばらく旅行に行くから、家にいません」って。お母さんとお父さんはそういうこと共有しないわけ?
イライラしながら洋服を片付け、再び部屋を出る。しばらく歩くと電話が鳴った。母親だった。
驚いて自宅の方向を振り向くと、熱心に私の部屋のインターホンを鳴らし、電話をかける母親の姿があった。あと数分出るのが遅かったら鉢合わせしていたかもしれない。
「もしもし」
「あっ、芹那ちゃん…!よかった、事件に巻き込まれたんじゃないかって心配だったの!部屋にもいないみたいだし…いまどこにいるの?なにしてるの?」
「あのさ、お父さんに聞かなかったの?私少し旅行に行ってくるって言ったよ」
「旅行って誰と行ってるの?お母さんの知ってる人?まさか男じゃないでしょうね、危ないことに巻き込まれてるんじゃないの?」
「違う!もう、しばらく一人になりたいから、少しほっといてよ…」
私とお母さん
物心ついたころから「女の子はおしとやかで上品であるべき」「勉強して学力を上げ、いい男性と結婚し専業主婦になるのが女の幸せ」と、母によく言われた。
華道や茶道、バレエにピアノ、学習塾に英会話。母は週6で習い事を詰め込み、私を熱心に教育した。
テストは常に満点でなければならず、小学4年生のときに88点のテストを持ち帰ったら夕食を食べさせてもらえなかった。お腹が空いたと泣く私を、父は黙って見つめるだけ。近所迷惑だと母が私を押し入れに閉じ込めたが、それでも父は何も言わなかった。
友人づきあいも上手くいかなかった。習い事ばかりで放課後遊ぶこともできない。友達の家は「あなたは礼儀がまだ身についていない、頭も悪いんだから遊びに行くな」と母に言われ、一度も足を運んだことがない。
歯向かえば怒られるし、ご飯をもらえない。そうした経験の積み重ねでどんどん自分の意見が言えなくなった。あるときには、こんな友達の会話を耳にした。
「修学旅行の自由行動、ここにしようと思うんだけどどう?」
「いいんじゃない?芹那には聞いた?」
「あー、あの子どうせ『うん』しか言わないからいいよ。自分の意見ないじゃん」
「わかる、なんでもいいよーっていうもんね」
ああ、私は自分の意見がない子だと思われているんだなぁ。友達だと思っていたけれど、もしかしたら私が思うほど、みんなは私を受け入れてくれていないのかもしれない。
一度、母に内緒で彼氏を作った。しかし1カ月ほどで浮気をされ、すぐに別れてしまった。
さらにどういうわけかそれが母の耳にも入っており「私の言うとおりにしておけば痛い目に合わなくて済んだのに、頭が悪いのに勝手なことするからそうなるのよ」と言われたことがある。それ以来、男性とかかわるのは禁止された。
大学も就職先も、すべて母の決めたとおりのところだった。幸い就職先だけは実家から電車で1時間かかるところにあったため、念願の一人暮らしが許可された。はじめて親の管理下を離れ、最初は不思議な解放感に包まれていた。
しかし、先輩に言われるがまま仕事を押し付けられる日々。NOとも言えず、毎日サービス残業続き。さらに追い打ちをかけるよう、毎週末母は家に来て、お見合い相手の写真を持ってくるようになった。