「早稲田大学に現役で合格しなかったら、死刑やからな」
それでも中学受験さえ終われば、父の暴力も落ち着くと思っていた。そこに一縷(る)の望みをかけ、必死に机にかじりついた。
だけどどうしても、駄目なのだ。
平日の夜や土日など在宅しているときは、いつも父は抜き打ちチェックみたいに唐突にぼくの自室を訪れる。それが気が気じゃなくて、テキストの文字は上滑りし、心臓は常に早鐘を打っていた。
廊下を歩く足音で、父か母か判別はつく。パタパタと軽い小走りが母で、ドシドシと重たく歩幅が広いのが父だ。後者がふいに聞こえてくると、途端に背筋は縮み上がった。
テキストの進み具合や正答率を確認され、それが父の気に食わないと、罵倒とせっかんが始まる。泣いて赦しを乞い、ようやく解放されると、今度は隣の弟の部屋から肉を打つ音と悲鳴が聞こえ出す。
試験中、それが何度も何度も頭の中で再生されて、集中できた試しなどなかった。開始の合図とともに頭はまっしろになって、ついさっき見ていたはずの算数の公式なんかもまるで思い出せない。
模試の出来はもちろん最悪で、成績表が返ってくる日をまるで死刑囚のように震え、待っていた。
成績など、上がるはずもなかった。父の決めた第一志望の学校に落ち、
退学が決まった日、「おまえ、情けなくないんか。あんなレベルの低い学校に通うハメになって、プライドはないんか」となじられたのをよく覚えている。
第一志望に受からなかった挙句、第二志望の学校も辞めねばならなくなったこと…「娘は名門お嬢様学校に通っています」と周囲に自慢できる権利を喪失したことが、よほど不満だったんだろう。
「早稲田大学に現役で合格しなかったら、死刑やからな」
父がそのセリフをはじめて口にしたのは、おそらくこの転校騒動のころからだった気がする。とはいえ、あまりにも長いあいだ聞かされ続けていたせいで、定かではない。
とにかくそのくらいから、父は毎日のようにこの言葉を繰り返すようになった。あんまりにも聞かされ続けていたせいで、いつしかそれは本物の呪いとなってこの身に染み込んでいった。
早稲田大学に現役合格しなければ、ぼくは父によって殺される。すなわち、高校3年生の受験の合否次第で、ぼくの生死は決まるのだ。
それはもっともなことのように思えた。だって、ぼくのこの身体は、母と父が子を成すことを選択し、交わった結果この世に生み出されたものなのだから、その寿命を決める権利もまた父にあるのだろう。本気でそう、信じ込んでいた。
高校に進学してもなお、父の暴力は収まらなかった。大学受験が近づくにつれ、むしろそれはヒートアップした。
父は地雷がどこにあるのかわからない人で、一度機嫌を損ねると手に負えない。前触れなく「成績表持ってこい!」と要求し出し、それを理由にせっかんを始めることもままあった。
せっかんの末に広がった自分の吐しゃ物とフローリングに額を擦り付けながら「ごめんなさい、もっといい成績を取ります」と父に赦しを乞うた夜が幾度あったかなど、数えきれない。