ふいに零れた彼女の言葉
ある日、ふたりでテレビを見ていた時のことです。番組のなかでは女子刑務所に収容された女性が、獄中結婚をした際の体験談を語っていました。
その様子を何気なく眺めていると、隣で同じようにテレビを観ていた彼女がふと呟きました。
「罪を犯して収容された人が、生活を制限される獄中でも結婚できるのに、どうして私たちは同性というだけで結婚できないんだろう。何も悪いことをしていないのに」
もちろん犯罪歴があろうと獄中であろうと、年齢さえクリアすれば誰にだって結婚する権利はあって、その権利が大切だということはわかっているけどね。そう続けた言葉を聞いて、ハッとさせられました。
自分たちの権利のために、ほかの誰かの権利を奪うことは絶対にあってはなりません。僕たちが同性婚ができないからと言って、罪を犯した人から婚姻を結ぶ権利を奪ってほしいなんて、これっぽっちも思いません。
しかし彼女も僕も人並みに努力をして、ある程度真面目に生きてきたことを思うと、感情論では正直報われなさを感じてしまいました。「誰にだって結婚する権利はある」、でもその「誰にだって」に、僕たちは当てはまらない。
これまでどう生きてきたかは婚姻を結ぶうえで関係は一切なく、こう考えてしまうのも的外れでしょう。けれどそうも言いたくなってしまうくらい、「同性だから」という理由だけで結婚できない日本の現状に納得できないのも事実です。
「いまが幸せ」だからこそ
同性婚ができないから僕たちは不幸かというと、そうではありません。
お互いが働いて経済的に自立しながら、ふたりで生活を成り立たせていること。家に帰ればパートナーがいること。たまにささいなお土産を買って帰り、それを喜んでもらえること。辛いことがあれば愚痴を吐き、嬉しいことがあれば真っ先に知らせる。そんな他愛ない日々を過ごすことができて本当に幸せです。
幸せだからこそそれを少しでも続けていくために、僕たちは結婚という制度を利用したいのです。僕の身に何かあったときに、彼女が少しでも困らないようにしたい。お互いの最期の瞬間にそばにいたい、いてほしい。ただそれだけのために僕たちは結婚することを選びたい。
もちろん、結婚がすべてではありません。しかし愛するということの形のひとつとして結婚したいんです。身体が男女であるふたりが生涯をともにしたいと思えたから結婚をする。それとなんら変わらないことを、同じように僕たちも選びたい。