「育ての親」のハードルは、低くない
「…で、出かける前に服の柄が気に入らない!とかいって泣き出して全然着替えないし、ごはんも全然食べないし、結局保育園も仕事も遅刻寸前で、本当、最悪だったよ」
早希が、これでもかというほど眉に皺を寄せて言うので、真依子はつい笑ってしまった。
「それが『イヤイヤ期』ってやつなんだ」
「そうそう。さすがに参っちゃった。服の柄が気に入らなくてあんなに泣けるなんて、逆に自分に正直すぎてうらやましくなったよ」
「ははは」
日曜日の昼間、真依子は学生時代からの親友である早希と久しぶりに会って、二人でランチをしている。早希は40歳手前で結婚し、いまは2歳の男の子、風太を育ててながら働いている。
「ごめんね。久々に会えたのに、愚痴ばっかで」
「いいよ、全然。元気そうでよかった」
「真依子、うまくいくといいね」
特別養子縁組をしようと考えていることを、早希にだけは話していた。この前、民間団体の面談を受けてその結果待ちなので、子どもを引き取れるのかどうかも未知数だが。
「うん。でも正直、こんなにハードル高いんだ、って思ったよ。簡単な話ではないんだなって」
真依子たちは説明会に参加した結果、特別養子縁組の待機登録までにはいくつもの条件があって、そこをクリアすることが前提なのだと知った。年齢とか、収入とか、夫婦の関係性とか、環境とか。民間団体によってそれぞれ条件は違うようだが「子どもを成人まで責任を持って育てていく」という「気持ちだけ」では、厳しいようだった。
たとえば、経済的なこと。夫婦ともに会社員の真依子たちは、仕事・収入面では比較的安定している。メーカー勤めで役職付きの真依子は、世間でいう平均年収よりは稼いでいるし、冴島も、真依子よりは少し年収は低いが本社勤務になってから年収は上がった。
長きに渡る不妊治療でずいぶんお金は出ていってしまったけれど、それでも、世帯年収を合わせれば、これから子どもを一人育てて不自由なく過ごさせることは、じゅうぶんに可能だった。
特別養子縁組にかかる費用のことも、そうだ。真依子が申し込んだ民間団体では、生みの親の経済的な支援や研修の費用、団体の人件費などで、トータルで200万円近いお金がかかることを知った。かかる費用は団体によってまちまちだが、どこもある程度のお金はかかる。
真依子たちは貯金から賄うことができる額だが、決して小さな額ではない。「子どもを迎えるまで」にも、まとまったお金がかかるのだ。
「そっか、愛情はもちろんのこと、お金の要素って大事なんだね」
「そうみたい」
「でもたしかに、お金に困っているような家庭に引き取られるようなことがあったら、産んでくれた人も心から安心できないもんね…」
「うん…」
もちろん普通の夫婦だって、子どもを育てるのにお金が必要なことには違いない。でも子どもを授からない夫婦の場合、不妊治療だけでなく特別養子縁組をするにも、「お金」がなければスタートラインに立つことも難しいのかと考えると、少しだけ複雑な気持ちにはなった。
「それに、年齢もけっこうギリギリなんだよね。両親ともに45歳以下、っていう区切りがあるところもけっこうあって。あと何年か決断が遅かったら、もっと厳しかったかも」
「そうなんだ…」
年齢を区切らない民間団体もあるが、おおむね、少なくとも子どもが成人するときまでは元気で生きていられる年齢であることを条件に掲げている団体は多かった。もし、真依子がいまもこの先もしばらく不妊治療を続けていて、特別養子縁組へと舵を切るタイミングが遅れていたら、育て親としての年齢要件を外れてしまっていた可能性もある。
「じゃあね。真依子と一緒に子育てトークができるの、楽しみにしてる」早希とは、駅の近くで別れた。
「うん、ありがとう」
母としての暮らしがすっかり板についた親友の後ろ姿を見送り、自宅の方向へと歩きながらスマートフォンを見ると、民間団体からメッセージが届いていた。面談の結果、無事、育ての親としての待機登録をしたとの内容だった。
「子どもがいる日々」への現実味が、一歩増した。真依子は、楽しみな気持ちと不安がないまぜになりながら、冴島へ電話をかけた。