動き出した私の心
うつうつとした日々を送っていた私の転機になったのが、2019年の台風19号。
記録的豪雨でアパート前の川が夜中に氾濫し、170cmを越える浸水。どんどん迫ってくる大量の水に「死ぬかもしれない」という考えが頭をよぎった。
幸い、2階の部屋だったため被害は最小限だったが、「いつ何が起こるかわからない。自分が生きたいように生きないと!」と思うようになった。
まずは、自分の故郷で仕事がしたい。そのために引っ越したい。家を建てる土地を探そう。
すぐに役場に行って、この町で仕事がしたいと思っていること、土地を探していることを伝えて協力を仰いだ。
もちろん自分たちでも土地を探した。いろいろな場所を見たけれど、なかなかピンとくる場所がなく、土地探しは足踏み状態。
そんなときに、夫と一緒にフラッと「藤原」の本家があった場所を訪れてみた。私にとっては子どものころの嫌な思い出が詰まった場所。大人になったいまの私がその場所を見て、どう感じるのかにも興味があった。
家屋が解体され、更地になっていた「藤原」の土地は、なんと私たち夫婦の理想に近かった。お互い「ここだね!」と、思わず顔を見合わせた。
当時の嫌な記憶が蘇ってしまうのではないかと不安だったが、太陽の光がさんさんと降り注ぐその土地に立つと、明るい未来が待っているように感じたのだ。夫婦ふたりでここで暮らしている様子が、ありありと目に浮かんだ。
「藤原」という家に呼び戻されているような気がしないでもなかったが、それでもここで暮らす未来を信じてみたくなったのだ。
「そうと決まったら動くしかない! 早速父に相談だ!」と、意気込んだが、ここからまた波乱の道のりが待っていたのである。
藤原姓に固執した親戚たち
父に「あの土地に家を建てたいんだけど」と相談すると、いまは叔父が管理者になっているとのこと。
父から叔父に事情を話してもらって、土地を使わせてもらうことに了承を得ようとしたのだが、これがすんなりとはいかなかった。土地の名義人が祖父母の祖母である高祖母のままだったのである。
私が生まれるはるか前に亡くなっている人のまま、登記簿の名義人を変えずにいたのだ。「何を考えているんだ!」と普通なら思うところだが、これ、田舎あるあるだと思う。
先祖代々継いできた土地だから、特に名義変更せずとも一族の誰かが継いでいくだろうという考え。実際に、名義を変えずとも特に問題なく何世代もスルーしてしまっている土地が、田舎にはきっとたくさんある。
そんな理由で「藤原」の土地も高祖母のままだったわけだが、私たちが家を建てるためには、名義人をせめて叔父に変える必要があった。
なぜ、私たち夫婦のどちらかではなく叔父なのかというと、私たちが「佐藤」だからだ。「藤原」の土地を「佐藤」にくれてやるわけにはいかぬということだ。
誰かほかに「藤原」を継ぐ人間がいるのなら、話はわかる。けれど、もう誰も継ぐ人間はいないのだ。
私が「佐藤」になったいま、「藤原」は父や叔父の代で終わる。土地だって、放置されて荒れ放題。定期的に整備してくれる人もいない。
どうしようもなくなっている土地を「藤原」の血を引いている私が使わせてほしいとお願いしても、「佐藤」になっているからダメなのだ。
憤りを感じたものの、「先祖代々の土地を守っていく」「姓を繋いでいく」という気持ちがわからないでもないので、名義人を叔父に変更し、叔父から土地を借りるということで話は一旦落ち着いた。