夫が義理の弟になった
姓を変えるには一度離婚するしかないかも…。そう思っていたとき、父が「養子縁組」というカードを切ってきた。
「何それ、どういうこと?」と話を聞くと、夫が私の父の養子になれば、婚姻したままふたりとも「藤原」になれるらしい。
なんですって!そりゃあ便利!と「養子縁組」に飛びついたのだが、この手続きでも私は大憤慨することになるのである。長くなりそうなので、その話はまた今度。
養子縁組の手続きは、父の本籍がある場所でないとできないらしく、夫と両親とともに故郷の町役場まで出向いて書類を提出した。
思っていた以上に、養子縁組の手続きはスムーズに、ものの数分で終わってしまった。「え?これで終わりですか?」と感じるほど、本当に簡単に済んでしまった。
あれやこれやと悩んで、父と言い合いをして、「藤原」の親戚たちの面倒くささを改めて感じて、ドロドロした感情にのまれていたこの数カ月間は何だったのだと思うほど、呆気なく終わった。そして、戸籍上、夫は夫であるまま、私の義理の弟にもなった。
なくなったはずの「家制度」に未だ縛られている日本人
どうして夫婦の姓を変えることは難しいのに、養子縁組はこうもあっさりできてしまったのか。それはやはり、日本に家制度の意識が根強く残っているからではないだろうか。
男系の氏の継承。とにかく家を守るということに特化している制度。そこに個人の尊厳はあるのか。
私たちは、離婚がしたいわけではなく、ただ「姓を妻のものに変えたい」というだけだった。それすら許されない日本の制度。結婚して姓が変わったからこそわかった、生き苦しさ。
どうして「選ぶ」ということが許されないのだろう。自分の姓を名乗りたいだけなのに。誰に不都合があるのか?誰かが損するのか?まったくわからない。
選択肢があるということは、誰かを救いこそすれ、不幸にするものではない。選択肢があることで救われる女性は大勢いるはずだ。
私の場合は、夫が妻の意見を尊重し、柔軟に対応してくれる人だったから姓を戻すことができた。それでも、数々の困難や面倒ごとがあった。
日本の婚姻制度にも疑問を感じるが、何よりも、それを頑なに守ろうとしている人たちがいること、「藤原」の親族たちのように、それが当たり前だという意識がまだまだ根付いていることが怖い。
家よりも、個人の幸せを考えられるような社会はいつくるのだろう。
私は特に自分のことをフェミニストだと思ったことはないが、日本の婚姻制度や家族観はあまりにも女性を抑圧したものになっているのではないか。
婚姻自体を否定はしない。婚姻によって、守られている部分もたくさんあると思う。
私が望むのは、もっと「選べる」社会になってほしいということ。私たちが「個人」として、自分にとっての幸せな生き方とは何かを考え、選べる世の中になることを、心から願っている。
- image by:Unsplush
- ※掲載時の情報です。内容は変更になる可能性があります。