始発電車に乗る人々。みんな自分らしさをもとめている
銀座線の始発電車にはポツポツと人がいた。ほかの路線の始発に比べるとその種類はさまざまで、これから仕事に行く人や仕事終わりの人、飲み会後始発を逃した人や大きなキャリーケースを持ち空港まで行く人などがいる。
最近、セラピストとしての職場を変え夜勤となった私は、毎日この電車に乗る。
クラブやラウンジなどで見る“夜会巻き”をした頭の割に、全身真っ黒の制服を来た私はその電車でどう思われているのだろうか。
ふとそんなことを考えていた。同じ車両に乗るこの人たちにもきっと種類分けできないなにかを抱いているのだろう。
この社会で生きている私たちは、肩書きや種類に分けられる。どんな人生を生きていようが、他者から見れば前の席に座った女性Aだ。この宇宙の歴史に生きたほんの少しのかけらのひとつだ。
けれど私たちはいつだって、「自分とはどんな人間でほかとはどう違うのか」を価値として生きている。「私らしいとはなにか」苦しみながらこの問いと向き合い続けて生きているような気がする。
「自分らしい」が正解じゃない。いじめられた小学生時代
話は幼少期に遡る。
私は、小さいころから「個性的だね」と言われることが好きだった。母は私を褒めるときに「可愛いね」よりも、自分の意志でなにかをしたことを褒めたときのほうが嬉しそうな顔をしていた。私がほかの子と違うことを「個性だ」と言ってくれる人だ。
幼稚園でみんなは三つ編みおさげなのに、私はいつでもショートカットで、「みんなみたいに髪を伸ばしたほうがいいのかな?」の聞いたときも「それがあなたの個性なんだからそのままが素敵だよ」と話してくれていた。
だから私はいつまでもショートカットを貫いたし、誰も持っていない文房具を持とうとした。性格や人付き合いにおいても、自分が違うと思ったことはやらなかったし、合わせることもしなかった。ほかとは違うということが私らしさを作るのだと思っていたからだった。
“個性的” という言葉に魅了され、それが私らしさを作るものだと思っていた私だったが、ある壁にぶち当たる。
小学3年生の春。私の「自分らしさ」と思っていた価値観は「調子に乗っている」に変換され、いじめの対象になってしまったのだ。
ちょうど低学年から中学年に上がったころで幼さ残る歳から“女子”という自覚と大人心が育っていた。
まずは無視から始まった。名前を呼んでも返事をされない、話しかけても聞こえないふりをされる。休み時間に一輪車をしていて女子が集まるところへ向かっていっても、私が動き出した途端別の場所へ移動する。
いまから考えたらくだらない子どものやることだと割り切れるが、そのときはなぜそんなことをされるのかわからなかった。
何か悪いことをしたのかもしれない、理由もなくいじめられることに納得できず、主犯格と思われる女の子を問い詰めてみた。そこで言われたのが「調子に乗っている」だった。
ほかにも「目立ちたがり屋」「偉そう」などとも言われた。私の言動や存在そのもの、言い換えれば「自分らしい」と思ってやってきていたことを真っ向から否定されたのだった。
完成したのは空気を読む人間。環境を変えても変わらなかった
そのいじめは私が“大人しくなる”ということで収まった。この“大人しくなる”というのは、他人やクラスメイトの女子たちに迎合することだった。
いわば降参、自分らしくすることを貫けずクラスの女子に合わせることで解決させた。
身なりにおいては自分らしさを捨てる必要はないと思えたが、人付き合いにおいては自分らしさは貫けなかった。単純に寂しくて悲しかったからだ。そのころの私は周りに人がいなくなることが究極の不幸だと思った。
小学校高学年においては、とにかく周りに合わせることを徹底した。その甲斐あってかいつでも周りに人がいた。完成したのはその場の空気に合わせる「空気を読む人間」であった。
11歳にして人の顔を伺いながら生活することを覚え、「この小学校を卒業するまでは我慢をしよう」そう心に誓い、中学受験をした。新しい人間関係になればこんな窮屈な思いをせずに、自分らしさも出せると思ったからだった。
中学受験をして入った中学校は、小学校よりも人数が多く、私服登校で選択制の授業もあるような“個性”を尊重する中学校で、小学校のころよりもずっと生きやすかった。自分が思うことを素直に話せるのに友達がいることに喜びを感じていた。
けれどこの「素直に話す」がうまくいかない。その“素直”が誰の素直なのかわからなくなったのだ。小学校で空気を読む人間となった私は、本当の自分をどこかに忘れてきたようだった。