「きょうから女性になる!」ができないワケ
成長していくなかで、どうやら自分が感じているような性別違和を周囲の(身体が)同性の友人たちは感じていないようだと気づくと、今度は「みんなと違う自分」に対してどうして自分は周りと違うのだろうと悩むようになりました。
10代の終わりのころ、周りと同じように自分を女性だと心から思って生きていられるならば、こんなに思い悩むこともなくなるかもしれないと考え、「自分のことを女性だと思う」ことを試みました。
当時はいまほど性別問わずメンズファッションを身にまとう文化がなく、見てわかるようなメンズ服で生活をするとどうしても周りの友人たちから浮いてしまうのではとも考えていて…。周囲の目が気になってしまうと考えていたことも、「女性だと思ってみる」を試した理由のひとつです。
服装はもちろんレディースのもので、ときにはスカートを穿き、髪型もショートヘアですがメンズカットではなくレディースカットで過ごしていました。
似合わないわけではなかったのですが、服も髪型もなんだかしっくりくることはなく、自分の服装も髪型もそれを身に着ける自分のことも好きになれません。形から入っても、僕の性別違和は消えてはくれませんでした。
このように、自分が望んだとしても心の性別は自由に選択することはできないもので、無理に変えようすることは大変に難しいことです。
性自認が流動的であるとされる「ジェンダーフルイド」の場合も、「きょうは男!」「いまだけ女!」と自分で選択するのではなく、「昨日は女性に近いと感じていたけれど、きょうは男性に近い気がする」などと変化する心の性別を感じ取っているとされ、だからこそ流動的であると考えます。
性自認が決まっている場合も、異性愛者があしたから完全に異性として身も心もなにもかも異性として自認し生活することがとても難しいのと同様に、「きょうから体の性別に合わせよう」ということはできません。
幼いころから性別違和を感じながら成長した僕は、やがてXジェンダーというジェンダーアイデンティティを知り、自認します。
20代のはじめまで、ずっと男女のどちらかに性別を決めないといけないと思っていたのに決められず、苦しい思いをしてきました。
その悩みを現在のパートナーに吐露すると、「どちらにも決めなくてもいいんじゃない」と別の視点を見せてくれて。
それがきっかけで男女のどちらでもないそれ以外の性別について調べるようになり、最終的に無理に自分の性別を男女のどちらにも定めないことにしました。
僕の行動は性自認を選択しているように見えますが、そうではありません。自分が自認している性別の感覚が当てはまるものを探し、見つけただけにほかならないのです。