誰かを傷つける言葉ではなく、お守りになる言葉を
先生がくれた「椎名トキっておもしろい人間ですね」という言葉が筆者の言葉のお守りになったのは、その言葉が先生がお互いにさまざまな違いがあることを前提に、僕を含めた生徒や先生自身のどちらも軽んじることなく、選んだものだったからだと思っています。
先生が講師と生徒という立場も年齢も違うところからフラットに生徒たちを見ていたように、自分も周囲の人たちや世の中を偏りなくフラットに見ることができるようになりたい。
人は誰もが、自分の置かれている立場と年齢性別マイノリティの有無といった属性から主観的に物事を考え、どこかしらに偏りが生じてしまうもの。
相手を思えばおせっかいになったり、よかれと思って余計なことを言ってしまった、なんてこともよく聞く話です。
年齢や性別、立場やマイノリティの有無、思想や考え方の違いがあるなかでフラットな視点を持つことは思っている以上に難しいと思います。
自分を含めた誰もが主観的だからこそ、自分以外の立場や属性を持つ人に思いを馳せることが大切。先生がくれた朱書きの数々を振り返り、そう思いました。
SNSを使うことが当たり前になっている昨今、言葉の持つ力や影響力はよくも悪くも強くなっているのかもしれません。
どうせなら、誰かを傷つける言葉ではなく相手のお守りになる言葉を選んで、自分でも使っていきたいものです。
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