N先生がくれた縁
そうしてどうにかこうにか8年半ほど働きましたが、今後の働き方や自分の暮らし方を考えたときに、過酷な働き方を今後も長く続けていくことは難しいと考え、一昨年転職。無事、希望の働き方ができる企業に再就職を果たしました。
前職トップや上層部以外の、一緒に働いていたメンバーとの人間関係は悪くなかったので、いまでもなかよしのベテランデザイナーたちと食事に行っています。
ちょうど退職してすぐの食事会でふと、「なぜあのような過酷な職場で長年耐えられたのか」という話題になり、今回のN先生がくれた言葉がお守りだったというエピソードを話しました。
在籍中に話すことのなかった話に、特にお世話になった60代のデザイナーのOさんが神妙な顔をしていました。
「そのN先生って、もしかしてもといた広告代理店は○○(広告代理店)?」
聞けば、彼は若いころN先生とデザイナーとアートディレクターとして親交があり、家族ぐるみでよく一緒に飲みに行っていた仲だったと言うのです。
あまりの縁に言葉を失いました。先生の言葉を胸に、先生と親交のあったデザイナーにお世話になっていたなんて。こんな偶然があるものなのでしょうか。
「先生はお元気にされていますか?」
驚きながらも問いかけると、Oさんが少しだけ口ごもりました。
「…実は何年か前に亡くなったんだ」
その会の間はどうにか取り繕ったけれど、帰りの電車でひとりになると、どうにも涙が止まりませんでした。
1年以上経ったいまでも、ふいに先生を思い出しては、しのんでお通夜のような気持ちになっています。
もし、過酷な前職に在籍している間に先生の死を知っていたら、8年半も続けることはできなかったでしょう。もしかしたら、知ったあと辞めてしまっていたかもしれません。
自分で退職の意向を決めた後に、しかも先生と親交があり前職で大変お世話になったOさんから知ったことも、N先生がくれた縁だったのではないかと思えて仕方ありません。
A4用紙2枚綴りのエッセイ
先生が一度だけ、授業のレジュメや課題の用紙の他にA4用紙2枚綴りの用紙を配ったことがありました。
内容は、生徒の課題にコメントを書くことのむずかしさを主軸に綴ったエッセイ。エッセイの後半には「みなさんの作品に稚拙なコメントを書かせてもらっている反省と言い訳」と、この文章を書いた理由が書かれていました。
先生が社会人になりたてのころに受けた先輩からの激しいダメ出しや、学生時代に先生に誉められて嬉しかったこと。
酸いも甘いも経験したいま、生徒の作品を通して感じていることをしたためたエッセイは、限りなく先生の等身大のおもいをこめた文章で。
先生が生徒ひとりひとりの作品をフラットに見て、毎週毎週コメントを書いてくださっていたことがわかりました。
元アートディレクターのプロの目には、20歳前後の生徒の作品は未熟で直すところばかりだったことでしょう。人によってはアレコレ言うし、当然ダメ出ししたはずですが、先生はなるべく生徒のいいところを見つけ、誉めて伸ばすことを選んでいました。
「いくらでも頑張れる若いみなさまに期待をこめて」という先生なりの激励で締めくくられていたエッセイには、当時は気づくことができなかった、先生のフラットな視点での言葉が詰まっていました。
いま、僕はその視点を持てているのでしょうか?