こんにちは、野澤卓央です。
皆さんの中には、日々こう願っている人はいませんか?
「ご機嫌に生きたい」、「いつも穏やかな自分でいたい」。これらは一見すると、皆さんが正しいと思う理想の姿だと思います。
しかし、それは時に、自分を足止めし、苦しめてしまうことだってあるのです…。
「ご機嫌でいなければいけない」という思い込み

image by:Unsplash
先日、友人からこんな相談がありました。
友人:壁に穴を開けてしまうほど強い怒りが湧きました…。感情や衝動に飲まれる自分ではなく、ご機嫌な人になりたいんです。どうすれば、ご機嫌な自分でいられますか?
一通り話を聞いた後、友人にこう問いかけてみました。
野澤:なぜ、ご機嫌な自分になりたいの?
友人:心穏やかに、自分も相手も幸せでいたいんです。
さらに、尋ねます。
野澤:その状態に戻っていくために、何が必要だと思う?
友人:心の余裕だと思います。
僕たちは、怒りや悲しみなど強い感情に呑まれ、衝動的な言動をした後に、後悔や罪悪感、自責の念を感じることがあります。
- どうして、あんなことをしてしまったのだろう
- 自分は、なんて未熟なのだろう
- 二度と怒らないようにしよう
そう思い、自分の中にある怒りや悲しみの感情、身体に起きている衝動を否定して、穏やかな自分、いつも笑顔の自分、ご機嫌な自分になろうとします。
しかし、怒りや衝動を否定したまま穏やかな理想の自分を目指すほど、身体の中にある感情や衝動は、理想によって押さえ込まれていきます。
地中で圧縮されるマグマのように、内側にたまり続け、いつか噴火します。
同じように、行き場を失い抑圧された感情や衝動は、何かのきっかけで再び動き、噴き出します。
同じことを繰り返す自分に失望し、「自分は変われない」と自分への信頼、自信まで失ってしまうことがあります。
「良い」と「悪い」で二分化する必要はない

image by:Unsplash
この世界は、相対するものによって成り立っています。
暑さがあれば寒さがあり、上があれば下があり、光があれば影が生まれます。
「穏やかな自分が良い」と決めた瞬間、「穏やかではない自分は悪い」が同時に生まれます。
穏やかであることはもちろん大切です。
しかし、今の心身の状態や、怒りが生まれた背景を観ずに、直線的に「良い自分」を目指すと、良い自分を目指すほど今の自分を否定する力も強くなっていきます。
たとえば、小さな子どもが壁を蹴るほどの怒りや衝動を抱えていたとします。
その子に大人が良かれと思い、こう伝えたとします。
「怒ってはいけません」、「穏やかにしなさい」。
それがいくら正しいことでも、その子は、今の自分を受け止められないまま、自分の感情や衝動を抑圧します。
- 怒っている自分はダメなんだ
- この氣持ちは出してはいけない
- 本当の自分を見せたら嫌われる
そんなふうに思い、自分の感情や衝動を押し込めるようになります。
一時的には大人の言うことを聞く「良い子」になるかもしれません。
けれど、受け止めてもらえなかった感情は、消えずに、身体の奥に残り続け、何かのきっかけで爆発したり、大人になっても身近な人に同じ反応を繰り返したりします。
もちろん、怒りに飲まれて出た行為を、そのまま許してよいわけではありません。行為には責任があります。
けれど、自分の内側に生まれた怒りや衝動まで、“悪いもの”として排除する必要はありません。
強い怒りや衝動の奥には、自分を守ろうとするいのちの働きがあります。
- これ以上、傷つきたくない
- 分かってほしい
- 大切に扱ってほしい
- ここから離れたい
- 自分の尊厳を守りたい
そんな切実な願い、生きる力が、怒りという強い力になって現れているだけなのです。


0 件
