いまは何かと、心が不安でいっぱいになる日も多い。でもいつか必ずまた、花が咲く。大好きな仲間と、愛する人と、家族と、同じ場所で思いっきり楽しめる日が戻ってくる。その日に目を向けて、いまを歩き続けたいものですね。
さて、きょうは夫婦の関係でも、ちょっと重たいときの話。相手のことが信じられなってしまったとき、日々相手への不安や心配でいっぱいになってしまう。心は、苦しさのあまり一気に最悪の選択の方に傾いてしまうこともある。そんなとき、何に目を向ければ、どんな目標を持って取り組めばいいのでしょうか。
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愛を疑ってしまう
大切な人の愛を疑ってしまうときってあると思います。「私のほかに好きな人がいるのでは?」「隠れて誰かと仲良くしてたりして…」「本当は私のことを愛してはいないのかも?」「私は利用されているだけ…」。
考え出したらきりがないし、どんどん不安になってくる。相手を「疑わしい」と思う気持ちで見れば、LINEもメールもスマホも行動も、すべてが怪しく見えてしまう。そんなとき、あなたならどうしますか?
相手の裏切りの確固たる証拠を見つけようとする?いますぐにでも、相手を捕まえて別れ話をする?自分の苦しい気持ちをなんとかしろ、と相手を責める?それとも、相手が何をしようとも「私には関係ない」と感じられる自分になろうとするでしょうか。
どれが正しくて、こうした方がいいという話ではありません。しかしこれらの行動は、どれもたとえ自分が本当に望んでいる結果にならなくても、「早くこの不安から抜け出して安心したい」という気持ちの方が強くなってしまっているように思います。
もちろん、相手のことを信じようと決めたり、疑わしいと「思うもの」を見ないようにしようと決めることで、心が安定していくこともあります。でも、それでも心のなかの不安を小さくできないときがあるのです。
そもそも信じるといっても相手の「何」を信じればいいのか。人間性?人格?性格?どれも信じるに値する相手の価値ではあるけれど、いま欲しい、信じたいものは「私を愛しているかどうか」でしょう。
こんなことを考えるとき、普段から「愛している」という気持ちを言葉で伝え合うことはとても大切なことなのだと改めて思います。だって、彼の、彼女の言葉を信じようとすることもできるのだから。