日本の異常気象には、たびたび驚かされます。私が若いとき、小学校、中学校、高校…と日本で過ごしていましたが、当然、学校に冷房はついていませんでした。それでも記憶にあるかぎり、35度や40度近い気温は経験したことがなかったと思います。せいぜい暑くても、32度。ちなみに私は九州の出身です。
日本では、暑さで人が亡くなっていますし、小学生が亡くなったというニュースを見たことがあります。小学生くらいの歳だと、自分が具合が悪いこともなかなか先生に伝えられない子も多いのかもしれません。
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「我慢」を美徳とする日本
日本の美徳には、「我慢」があります。「辛抱」が美しいものであるように思います。スポーツ界においても、昔の体育やクラブの練習などは、どれも「根性」を鍛えることが重要視されていました。
炎天下での部活動だって、途中で水の1滴も飲むことが許されなかったり、自分の具合が悪くても、先輩を差し置いて帰宅するなど、許されないことでした。
後輩はひたすら雑用を押し付けられるという縦社会。それが当たり前で育った昭和世代の私は、それが理不尽であることにすら気づかないまま時を過ごしていました。
近年ようやく変わってきましたが、日本は時代錯誤がまだまだ多い国。年功序列もそうですけど、お役所仕事には徹底したマニュアルがあり、下はそれをまっとうする。立場の弱い人間が、幼い児童が、自分の意思を伝えにくい環境というのは、日本の教育の遅れだと感じるのです。
前例がなければ、決断には時間をかける。マニュアル通りで「事なかれ主義」。事故が起きてからは、謝罪会見の土下座。日大のアメフト部による「危険タックル問題」も連日報道され、選手の違反プレーの動画に始まり、監督の責任、そこから日大自体の運営にまで、メディアによって丸裸にされました。
権力があぐらをかく時代は、もう終わってるのに。まだそれが根強い日本のイメージを連想します。上がシロといえば、黒いものもシロといわなければならないような風潮。当たり前のように上を敬えることは、素晴らしいと思います。しかし、下がものをいえない環境を作り出す教育は時代遅れだと思うのです。