20歳年上の夫とマイペース高1息子と暮らすアラフィフ主婦ライター、塩辛いか乃です。
最近、「体験格差」という言葉をよく耳にします。
要は、「小さいころにさまざまな体験をした人ほど視野が広がり、豊かに育つ」と言われているのだけど、さまざまな体験にはお金がかかる。
つまり高所得の家ほどいろいろな体験ができて、視野が広がるってわけです。
となると、結局「高所得の勝ち」って結論になるわけで。こう言っては元も子もないのですが、「そりゃそうだよね」に尽きます。
もちろん裕福じゃないからこそ、得られるものもある。たとえば、ゲームを買ってもらえなくてその代わりに工作のスキルが異常にあがり、工学部に進学した…なんて話もあるにはある。
だからすべてがマイナスというわけではないものの、やっぱりざっくり大枠の話では「金があるほどいろいろな体験ができる」のは真実だと思います。
そしてわざわざ書くまでもありませんが、海外旅行で見聞を広げるってのはお金がかかる。スイミングやピアノの習い事をするにもお金がかかる。体験重視のいい教育を受けさせるにもお金がかかる。
遊びに行くのだってそう。公園で遊んで楽しいというところで収まれば平和なものですが、どこかにレジャーに行くとなるとやっぱりお金がかかる。
そして最近ではテーマパークの金額が爆上がりし、並ばずに入るにも課金が必要な場合もあって、子どもを連れて気楽に遊びに行くというよりは高額課金できる人の特権的遊びのようになってきたというし、これだけ不景気なうえに物価高となると、「行ける人」と「行けない人」の間でも軋轢が生じそう。
そしてお金がなくてもできることはたくさんあるし、お金をかけずにすることほど貴重になっているきょうこのごろですが…ちょっと待って。
お金はあるけど「あえてお金をかけない遊び」を体験させる人はいるかもしれませんが、本気でお金に困っている家庭では、子どもに豊かな体験をさせてあげたいと思っても、働きづめでそれどころじゃないのが実情なんじゃないかと思います。
格差を感じながら過ごした「幼少期」
わたし自身、群馬の田舎で、裕福ではない家庭で育ちました。
いまみたいに「体験格差」なんて言葉なんてなかったけれど、「格差」を感じまくりながら幼少期を過ごしました。
うちの母はいろいろなスーパーの催事コーナーで干物やら明太子などを売ってまわる仕事だったので、土日や長い休みは当然出勤。クリスマスも、年末年始も全部仕事。
ひとりでお留守番したくなかったので、一緒について行ってお客さんのお会計や「いらっしゃいませ」といって販売を手伝ったりしたので、そういう意味ではほかの人にはない体験ができたかもしれません。
けれど週末に家族みんなでお出かけなんて体験はできなかったし、長い休み明けに周りのクラスメイトが「遊園地に行った」なんて話しているのを聞いて、うらやましくて仕方なかったです。
みんなと同じテーマパークに行くのが正解じゃないけれど、一般的に「幼いころの思い出」として浮かぶようなことの経験がないって、子ども心にはまぁまぁ寂しいもの。
そして自分の体験から思うことは、体験格差って生まれ育つ地域も重要なファクター。
当たり前のことですが、都会ほどいろんなものに触れられる。田舎は圧倒的に情報も施設も少ない。これはもう確実です。
だって国立科学博物館や西洋美術館みたいなすごいところにサッと行ける人と、地方の科学館しか見たことない人…そりゃあ触れるものの差が出るでしょうよ。
あちこちに体験施設があって、キッザニアだのカップヌードルミュージアムだの、知的好奇心を満たす施設が山ほどある。
私が幼少期のころの地方は映画館だって少ないし、そもそも映画を気軽に見る文化さえ根付いていませんでした。
意識が高かったとて、わざわざ都会に行く交通費も時間も必要。都会に比べていろんなものに触れるチャンス自体が少ないんですよね。
わたしが小学生のころにテーマパークがオープンして、周りにどんどん「行ってきた」という友達が増えました。本当に、うらやましかった。
うちは母が働きづめで休みが取れないし、父は子どもの喜ぶ場所に連れて行ってくれる感じの性格ではなく。そんなに遠くまで「連れて行って」なんて言えなかったし、指をくわえて見ていました。
当時は、周りの子たちが「東京に遊びに行ってきた」というのも自慢話のひとつでした。
ミーハーなわたしはうらやましすぎて東京への憧れがどんどん強まり、雑誌やテレビで特集される原宿の映像を食い入るように眺めていました。
いや、原宿に行ったからって豊かな人生が歩めるかわかりませんが、そういう「おもしろそうな世界を見てみたい」という気持ちが叶えられるかどうかって、そりゃあいろいろ見たほうが視野が広がりますよね。
だけどこれは群馬に住んでいるから自慢になる話であって、首都圏に住んでいればこんなに大ごとにはならずに「ちょっとそこまで遊びに行ってきた」で済む話。やはり地の利はあります。
「体験格差」は「親の経験値」にも比例する?
そして「体験格差」は、親の経験値にも比例すると思います。わたしは英語に興味があって、外国に行ったり、留学をしてみたかったんです。
けれど家の経済状況ではとてもじゃないけどいけないだろうし、そもそもうちの両親は海外なんて行ったことないので行き方すらわからない。
当たり前に海外赴任を経験している親を持つ人と、うちみたいに海外に行ったこともない親とは、経験値が絶対的に変わります。
自分の親がどうこうではないですが、やっぱり両親の経験値も子どもの経験に色濃く反映されるなぁということです。
わたしは高校は地元の進学校に進学しましたが、その学校が進学校かどうかも知らず…。そもそも、進学校は何をするところかも知りませんでした。
英語が好きだったのと、数学がやりたくなかったので「英語科」という名前に惹かれて入学しましたが、わたしが入ったのはなんと文系特進クラスだったようで、入学初日に「行く大学決めてね」と言われました。
でもうちの両親は二人とも中卒です。いままで「大学」というキーワードさえ聞いたことがなかったので、頭の中は「?」だらけ。
家に帰って母に「ねぇ、大学って何するところ?」と聞いたら、「うーん、わかんない」と言われました。
当時高校1年生のわたしは、大学が4年制だということも、何をするところかも知らなかったのです。
これがもし大卒の親だったり、子どもを大学まで入れようと考えている親なら、もっと小さいころから「大学というのがあって、こんなところで」と教えると思うんですよね。
東大に入れたいと思っているママたちはきっと、生まれたころから東大を目指した教育をしていると思うし。
だけどそもそも親が「大学」というものの存在を知らなかったら、まず話題に上がらないし選択肢にも入ってこない。
わたしはたまたま進学校に行ったのでそういう道を知ることができましたが、知らないまま地元に残っている人なんてたくさんいます。
「大学?あんなもんは金持ちの物好きが行くところよ」と言われていたら、そういうもんかと思っていたと思います。
そして大学に行くぞと思ったはいいけれど、田舎ってだけで塾もない。情報もない。電車で1時間のところにひとつだけ予備校がありましたが、毎日のように通うわけにもいかず、塾なしで大学受験です。
いまでこそネットでいろいろ調べられて、オンラインで授業も受けられますが、それでも地方は圧倒的に不利ですよね。
その反動か、大学で家を出てからはむさぼるようにいろいろな体験をしようとしました。
大学は京都でしたが、京都駅や繁華街をウロウロ歩いてウインドーショッピングをしたり、映画を見たり。田舎じゃできなかったことを片っ端から。
さらに行けなかった海外もなんとか行こうと知恵を絞り、バイト代を稼いで中学時代から続いていたペンパル(文通友達)の家に遊びに行くことにしました。
留学してホームステイするには莫大なお金がかかるけれど、ペンパルの家に泊まればタダ、飛行機代だけ捻出すれば行けるもん。
ということでいま思えば図々しいことこのうえないですが、こうして3週間の「なんちゃってホームステイ」も実現しました。