結局、「蛙の子は蛙」なのか?
わたしは好奇心が旺盛だったので、テレビや本で見聞きしたものをどんどんやってみたいので、育った環境の割には体験をしたほうかもしれません。
母も、自分から何かをさせることはありませんでしたが、わたしが何かと習い事を見つけてくるので、お金がないなか、わたしがやってみたいと言った習い事はやらせてくれました。
わたしはわたしで塾の無料体験に行って、ちょっとだけ体験して無料でやめるなんてこともしていました。
だけど世の中こんな人ばかりではなく、特に子どもなら、ほとんどの場合は受け身。体験の機会を与えられてから体験するものですよね。
となると、結局小さいころの体験の豊富さというのは環境依存になってくるわけです。
親がどれだけ意識が高いか、どれだけ体験させる財力を持っているか、どれだけウイットに富んでいるか。その逆もしかり。結局「蛙の子は蛙」になってしまうわけですよね。
わたしからすれば、そんなのはわたしの時代からあったことではありますが、それをいまさら問題視するのであれば、国や自治体の力で、公教育でできるだけ取り入れてもらうしかないかなと思います。
テーマパークに行くのは大人になってからでもできるけど、虫捕まえて遊ぶなどは小さいころじゃないと刺さらない。
そして公教育さえまともに受けられない状態になっているヤングケアラーなどの問題も難しい話だけど、そのあたりが底上げの課題になってくるのではないかと思います。
体験できていることは、「当たり前」ではない
そして、底上げと真逆の話ではありますが、恵まれすぎて、体験できていることを当たり前だと勘違いするのも少し危険だなと思います。
つい先日、貧困問題だか食糧問題に向き合うとある団体を立ち上げている元気な女性が朗々と夢を語っている動画を目にしました。
彼女は小さいころからお父さんの赴任先で海外暮らし、その後も留学などを経て広い視野を得てきたようで「いろんな経験をすることが大事」「視野を広げていろいろ見て」ということを、本当にツヤツヤの髪でキラキラの瞳で語るんです。
とにかく意気揚々とボランティアに励んだりしているようなのですが、わたしみたいにひねくれた人間からすると、どうにもこそばゆい。
「広い視野を持って貧困をなくすべく」と言いながら、なんとなくそれって金持ちの自己満足じゃないの、と思わなくもない。
相当いじわるな見方だってことはわかっているし、きっと本人は本気でそう思ってるんだと思う。
だけどあなたがどれだけ恵まれてきているか、そして恵まれていない人はいまどんな思いで話を聞いているか想像したことがありますか?と聞きたい気持ちになってしまいました。
「いろんな体験をして、視野を広げて」って、体験格差ヒエラルキーのうえにいる人じゃないとできないってわかってたら言えないことだし、そんな人に貧困について語られたら…なんか冷めてしまうのは私だけでしょうか?
恵まれた場所から話していることにまず気づくべく、「あなたこそ体験ができない人がいる世界を見て視野を広げて!」「もう少し色々考えて」と思ってしまいます。
最近「体験は多いほどいい」みたいな風潮もあり、高尚で豊かな体験、たとえば帰国子女の優遇とか英語ができる子を優遇とか、体験上位者を優遇するのも余計に格差を際立たせている気がします。
だって、「家で毎日ご飯を作っていました」などは、体験しててもあんまり歓迎されないもの。
体験ならなんでもいいってわけじゃなく、やっぱりインテリジェンスな体験ばかり優遇されちゃうわけです。
そんなわけで、体験格差。いろいろ見聞を広げることは大事なのですが、それは親の要素とか生まれた場所、そしてお金の絡む話。
ありすぎても勘違いな人が出てくるし、なんでもかんでもやたらめったら体験すればいいってもんでもないとは思います。
もちろん若いうちにいろんな体験するのは大事だと思いますし、そのほうが豊かな子になるのも同意。
わたしも子どもを持つ身で思うことはたくさんあれど、答えは出ません。
どんな家に育っても、せめて学校とか国がサポートしてある程度の体験ができるよう、未来の子どもに投資してほしいなぁと思います。
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