予期せぬときにアイデアが降ってわいた──。
誰しもこんな経験をしたことがあるのではないでしょうか。しかし不思議なものです。何かの問題について考えているときに答えが出ず、その問題を忘れてしまったころに突然ひらめいて、答えが見つかる──。
しかも、この不思議なひらめきは多くの人が経験しているようです。なかでも著名な科学者や哲学者が同様の経験を記しています。
実際に体験してみると、この不思議な現象は決して偶然に生じるのではない、とさえ思えてきます。今回は、そんな「ひらめき」はいかにして起こるのか、この点について哲ガクってみたいと思います。
偉人たちの不思議な体験
アルキメデスの場合
ある日、ギリシアの数学者アルキメデスは、シチリア島シラクサの王から、「この王冠が確かに純金でできているかどうか傷をつけずに調べよ」という難問を言い渡されました。
アルキメデスは解決方法を考え抜きますが、なかなか妙案が浮かびません。気分転換に風呂につかっていたアルキメデスはそのとき、浴槽からこぼれ落ちる湯を見て、突如ひらめきました。
水を満たした容器に王冠と金細工師に与えた金とを、交互に入れます。そして、あふれ出た水の量をはかることで、王冠が純金かどうか調べられると考えました。
解決方法を発見したアルキメデスは、「ユリイカ!ユリイカ!(eureka/われ発見せり)」と叫びながら、シラクサの街を裸で駆け回ったというのは、あまりにも有名な話です。
このアルキメデスのエピソードで注目したいのは、意識的に問題に取り組んでいるときには解答が得られず、逆に問題に取り組んでいないときに、不意に解答がひらめいた、という点です。
アンリ・ポアンカレの場合
フランスの数学者アンリ・ポアンカレも、アルキメデスと同じような体験をしています。
ポアンカレがフックス関数について考えているときでした。しかしその日は、鉱山学校の地質調査旅行があり、参加していたポアンカレは数学上の問題について完全に忘れていました。
「クータンスに着いたとき、どこかへ散歩に出かけるために乗合馬車に乗った。その踏段に足を触れたその瞬間、それまでかかる考えのおこる準備となるようなことを何も考えてもいなかったのに、突然わたくしがフックス関数を定義するに用いた変換は非ユークリッド幾何学の変換とまったく同じである、という考えがうかんできた」(ポアンカレ『科学と方法』)
このポアンカレの経験も「ユリイカ」にほかなりません。
ジャック・アマダールの場合
また、ポアンカレに触発されて、思考の過程について考察した数学者ジャック・アマダールは、著作『数学における発明の心理』で次のように述べています。
「私の場合、外の音によって急に目がさめた折、それまで長い間求めていた答えが、自身で考えるわずかな時間もなしに、ぱっと現れた。(中略)しかもその答えは、私が以前から目ざしてきた方向とはまったく別な方向のものであった」
アマダールのひらめきも、寝起きという、やはり問題を考えていないときに生じています。