こんにちは。韓国在住3年目のHAZUKIです。韓国人男性と結婚し、現在は韓国で日本語講師として働いています。
日本人のなかには「韓国人は嫌日だ」というイメージを持っている方もいるため、「韓国に住んでいる」と話すと、「嫌な思いをしていない?」と心配されることがあります。
きょうは在韓日本人である私が、「韓国人は本当に嫌日なのか?」ということについて、体験をもとにお話しします。
- 本件について、あくまでも筆者の体験に基づくものです。
韓国人は本当に嫌日?
日本に対してよくない感情を持っている韓国人がいるのは確かです。しかし私個人的には、日本人だからという理由でいじめられたりひどい扱いを受けたことはありません。
そういったマイナスイメージを持っている韓国人は、日本人一人ひとりを嫌っているというよりも、歴史問題における日本政府の対応に不満を持っているように思います。
私の住んでいる街は、ソウルからKTX(韓国の新幹線みたいな乗り物)で30分ほどの地域です。ソウルとは違い、外国人の存在は珍しく、「外国人と初めて話した」といわれることもあります。実際、私のシオモニ(お義母さん)も初めて会った外国人が筆者なのだとか(笑)。
このような地域に住んでいるため、外国人ということで目立つのですが、みんな優しく接してくれます。日韓問題が盛んになったときや、日本製品の不買運動があったときは、「大丈夫?」「つらい思いしてない?」「韓国がこんなことしてごめんね。ほんとは仲良くしなくちゃいけないのに」「私は本当に日本が好きだし、日本にも何回も行っているよ。早くまた日本に行きたいよ」といった言葉をかけてくれます。
韓国人は日本人に比べてストレートに言葉や感情を表現する人たちが多くいます。
もし日本で韓国製品の不買運動が起きていたとして、在日韓国人にその話題を振る日本人はどれだけいるでしょうか?おそらく多くの日本人は、あえて触れずにスルーしたり、気まずさを感じてその話題を避けたりするのではないかと思います。
しかし韓国人は、そのようなことはありません。日本人が気まずく感じるような話題についても、どんどん話しかけてきます。もちろん会話にマナーはありますし、悪意がないのはわかるので、韓国に住んで3年の筆者からすると、むしろこのようにストレートに話してくれる方が楽だとすら思います。
韓国人は嫌日だと思う日本人、日本人は嫌韓だと思う韓国人
話がそれましたね。では、実際の生活の中ではあまり嫌日の人はいないのに、日本では韓国は嫌日が多いというイメージがあるのはなぜでしょうか?
筆者が思うに、それはメディア、SNSの影響が大きいのではないかと思います。ニュースをみれば不買運動の映像が目に入りますし、「日本が嫌いだ」とインタビューで答えている韓国人がいます。
実際に、日本と韓国の間には、領土問題や慰安婦問題、徴用工訴訟問題といった歴史的な問題が多々あります。
冒頭で日本政府の対応に不満を持っている韓国人がいることをお伝えしましたが、日本政府が改定した「歴史の教科書」に記載されている韓国植民地時代の内容が、韓国人の解釈とあまりにもかけ離れていることから、「日本が嫌いだ」と思っている人もいるようです。
私たちはよくも悪くも、ネガティブなニュースに目が行きます。
少し前に、日本人観光客に対して韓国人が暴行を行ったニュース(参考:FNN)が日本で話題になりました。あのニュースは韓国でも話題になり、多くの韓国人がSNSで「同じ韓国人として情けない」といっているのを見かけました。しかし、あの映像を見た多くの人の頭には「韓国人が日本人に暴行を行った」ということが強く残ることでしょう。
同じ現象が韓国でも起きています。そのため、「日本人は嫌韓だ」と思っている韓国人もいます。
残念なことですが、日本人のなかには韓国人だというだけで差別的な発言をしたり、暴力を振るったりするような事件を起こす人もおり(参考:チャイナネット)、多くの韓国人もそのことを知っています。
このようなニュースをみた韓国人が、「日本人には嫌韓が多い」という印象を抱いても仕方がありません。実際は、韓国が好きな日本人も大勢いるのに…。
現代社会は多くの情報にあふれています。情報が多いのはいいことです。情報は武器になります。しかし使い方を誤ったら、自分の視野をせまくし、他人を傷つけてしまうことにもなりかねません。
今回は、「韓国人は嫌日?」というテーマでお届けしました。同じフレーズを検索にかけたら多くの記事が出てくるでしょう。ある記事は「韓国人はみんな嫌日だ」といい、ある記事は「韓国人はみんな親日だ」といいます。実際にはどちらでもなく、嫌日の人もいれば、親日の人もいます。日本人にだって、嫌韓の人もいれば、親韓の人もいるのですから。
日韓関係に限らず、いろいろなニュース、意見に触れ、自身の経験と照らし合わせながら判断していくことが大切ではないか。私はそう思います。