こんにちは。メンタルトレーナー&心理カウンセラーの吉田こうじです。大人になってもあなたを苦しめる『「毒親の呪縛」を本気で断ち切る実践トレーニング』を連載しています。
本記事内に登場する「毒親」とは
子どもに対する拒絶、侮蔑、無視、過干渉、虐待などによって、子どもの心身に罪悪感、劣等感、不安感。過剰な義務感、不足・欠乏感、羞恥心、無価値感などのネガティブな思考や感情を継続かつ執拗に植え付け、それによって子どもを「自分の所有物」かのようにコントロールする親のこと。また、「親」とは実の親のみならず、「親代わり」の身近な人も含めます。
言葉の暴力で子どもを傷つける親たち
毒親の言葉による虐待には、大きく2つのタイプがあります。
1つ目は、明らかに悪意がある汚い言葉を使って露骨に虐待するタイプ。もう1つは、「冗談」「からかい」「おちょくり」「皮肉」「嫌味」「イジリ」など、一見すると言葉の暴力とはわからないよう巧妙に仕組まれた、陰湿で陰険な虐待をするタイプです。
何歳のころだったかはもう忘れましたが、僕はかなり幼いころに、お正月で親戚一同が集まっているなかで、母親から「こうじは広瀬川の橋の下に捨てられていたのを拾ったんだよ」とネタにされ、親戚一同に笑われた記憶があります。
そのときは、本当にショックで頭が真っ白になったことを覚えてます。
その後にまわりから「冗談だよ」というフォローが入ったのですが、50歳を過ぎたいまでもこうやってありありと覚えているわけですから、そのときの心への衝撃は、子どもにとっては冗談では済まされないレベルのものだったと思います。
まだ冗談と本当のことを区別することもままならない無垢な子どもに、言っていいことと悪いことの分別をつけられないくらい、当時の親は本当に未熟だったんですね…。
それはさておき、悪意のない、むしろ愛情から生じる「冗談」や「イジリ」は、生活に潤いを与えてくれます。
いわゆる「ユーモア」ですね。そうしたユーモアは家族同士の絆を深めることにも役立つものといえます。
ですが、ある特定のひとりをターゲットにこき下ろすみたいなことは、「冗談」とも「ネタ」とも、ましてやユーモアともいえません。
特に幼い子どもの場合、親のいうことは額面通りに素直に受け止め、さらには「内面化」することもよくあることです。
※内面化とは、他者の信念・価値観を、自分の信念・価値観と錯覚して受け入れてしまうことです。
特に心根の優しい繊細な気質を持った子どもに、悪意ある不健全な言葉を、執拗に日常的に投げつける行為は、もちろん躾でもなんでもなく、虐待といっていいでしょう。
ここで、実際のクライアントのケースをご紹介します。